邑楽郡大泉町東小泉の厳島神社。

東小泉厳島神社は、天正7年(1579年)に勢光寺開山の了海が弁天尊を勢光寺内のお堂に安置したのが始まり(当時は弁天堂と呼ばれた)。本尊の弁天象は弘法大師の作とされる。その後、寛永7年(1630年)勢光寺3世・了信が現在地に竹堂を建て勢光寺から遷している。
明治初年に勢光寺から分かれ厳島神社となり、明治41年(1908年)に菅原神社と合併。その菅原神社も明治45年(1912年)長良神社と合併、小泉神社となっている。
しかし地元の方々は、従来通り弁天尊を福徳・智慧・財宝の神として信仰し、毎年例祭も行っているという。



堂内には小さなお社に鏡が置かれている。鏡がご神体になっているのかな。右側には弁天像もある(こちらがご神体かな)。まだ新しそうだ。

境内の弁天像。平成17年(2005年)の造立。弘法大師作といわれる弁天像はいつしかなくなり、人々は虚しくお参りすることになったので、代わりに建立されたようだ。同内の弁天像も同時期の造立かも。

境内入口の道祖神。文化8年(1811年)の造立。
弁天さまは元々仏教の守護神である天部だが、神仏習合で神道にも取り込まれている。ここがオレのような素人には分かりづらいところ。この厳島神社のように祀られているところも多い。しかし一方で仏さまとしてお寺に安置されているケースも多い。
明治の神仏分離時に神道色の強かった弁天堂(社)の多くは神社となったらしいので、ここもそうなんだろうとしか言えない。