2023年も残すところわずかとなった。恒例の「上州まったり紀行Award(アワード)」を発表して、1年の締めくくりとしたいと思う。
今年は115ヶ所(件)の記事をUPすることができた。新型コロナの蔓延以降、だいたい120ヶ所前後なので、こんなものでしょう。コロナ前は最大で200ヶ所も訪問したこともあったが、世の中「withコロナ」から「afterコロナ」に移行したと言えるが、今後もこれくらいのペースでいいでしょ。
なかなか遠出(西毛からの距離で)をすることは出来なかったが、前橋市・前橋市(旧富士見村)・高崎市・高崎市(旧群馬町・旧箕郷町)・渋川市(旧北橘村)・安中市・安中市(旧松井田町)・富岡市・富岡市(旧妙義町)・藤岡市・高山村の各所を訪問することができた。
では、2023年の個人的偏見による記憶や印象に残った場所です。なお。昨年までのベスト5はやめます。オレごときの意見で順位を付けるなど失礼だと思うので。記載は記事のUP順。件数も5件に限らず。
まずは「伝説」編。伝説の残る史跡や場所の中からいくつか。
・村主の泉跡(前橋市泉沢町)
冷泉が湧出し、この水で眼病の人が眼を洗うと眼病が自然に治癒するといわれた「御神水」の泉。ところが、酒が湧いて出たといわれる伝説も残る。百姓がこの酒ばかり飲んで、仕事をしなくなったようだ(笑)。特に見るべき遺物はないが、伝説を楽しむことが重要。
・鳶石(前橋市上細井町)
旧利根川(古利根川)の船着き場の船つなぎ石として使われていたとされる石。名前の由来に伝説が残っている。神武天皇が長髄彦との戦いに勝利した時の「金の鳶」が奥州から大和へ向かう途中、翼を休めたのが鳶石であると伝えられている。
・弘法の井戸(富岡市妙義町八木連)
弘法大師(空海)が見つけた水源。と言うか湧き出させた井戸といわれる。その場所には弘法大師が金の独鈷を埋めたといわれ、昭和25年(1950年)の調査で実際に鈷が出てきた(金ではなかったが)。現場は綺麗に整備されているので、過度なイメージは不可。
・駒寄の井戸(富岡市一ノ宮)
弘法大師(の馬)と名馬・摺墨の伝説が残る井戸。さらに当所は「お女郎坂」と呼ばれる坂の上にある。井戸には蓋がされているが、伝説を思い起こしながら訪れると雰囲気は味わえる。磨墨は永寿3年(1184年)の源範頼・義経軍と木曽義仲軍との「宇治川の合戦」で先陣争いを演じた梶原景季が乗っていた名馬。
次いで、いつものように記憶や印象に残った神社仏閣、遺跡・史跡です。
・越出山香集寺(前橋市上小出町三丁目)
「地獄の責め具」を型どった珍しい石造物がある。室町時代末の造立とされる浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)・人頭杖(じんとうじょう)・業秤(ごうのはかり)。いずれも閻魔大王が死者の生前の罪を裁くためのもの。
・不入の蔵骨器(前橋市富士見町石井)
蔵骨器は火葬した骨を納めた石製の骨つぼのこと。奈良時代から平安時代のものと推定されており、蓋石とセットで残っているのは珍しい。当時も一部の貴人は火葬されていたことの証拠でもある。
・碓氷関所跡(安中市松井田町横川)
「碓氷峠の関所跡」と上毛かるたに詠まれている。「旧東門」(廃関時に使用されていた木材による復元)と「おじぎ石」くらいしかないけど。群馬県民ならみな知っていると思うが、訪れたことがある人は少ないと思う。(2回目の訪問)
・古柳観音(富岡市原)
古柳観音は聖徳太子の御作とされる聖観音像を安置したことに始まるという。太子作の観音像は焼失したが、後に弘法大師が彫刻してくれたという。大きな観音像を間近に見られるのはありがたいこと。伝説編の方でもよかったかな。
・富岡諏訪神社(富岡市富岡)
拝殿正面の彫刻(精緻な龍と神子、獅子・漠など)が素晴らしい。寺社の彫刻って覆屋内だったりして見づらいことが多いが、拝殿なので直に見ることができる。なお、社名不明の境内社の彫刻も素晴らしい。
・宮崎山龍光寺(富岡市富岡)
龍光寺には富岡製糸場で働いていた工女さん48人が眠る。全国から工女さんが集まっていたが、親元を離れ病により異郷のこの地で命を落とした乙女たち(最年少は9歳10月)のことを考えたらウルウル来るものがある。
もちろん、これら以外にも印象に残った場所はたくさんあり、新しい発見もあった。来年はもっと遠出がしたいと思っている。利根・沼田地方には久しく行ってないし、東毛地方もご無沙汰気味だし。
今年も「上州まったり紀行」をご覧いただきありがとうございました。多くの方々にブログを見ていただき、感謝しかありません。2024年も引き続きよろしくお願いいたします。みなさま、良いお年をお迎えください。