渋川市北橘町八崎の大黒天広場。

八崎地区の北部、上越線と利根川に挟まれた旧字船戸に石仏・仏塔などの石造物が集積されている。大黒天広場と名付けられているのは、大黒天の石塔があるからだと思う。

甲子大黒天石塔。元治元年(1864年)の造立。明治10年(1877年)に八崎赤城神社に遷されたが、居心地が悪かったようで体を揺すって涙を流したという。そのため再び元の場所に戻されている(元の場所が当所なのかは不明)。

石尊宮は文化9年(1812年)の造立。石尊宮は竿、火袋が欠けている。元は3mの高さがあったと考えられる。

庚申塔(右)は寛政12年(1800年)、地神社宮(左)は天保13年(1842年)の造立。庚申塔と地神社宮の間のものは不明。一番左は灯籠の竿石。「大天狗」(だと思う)と刻まれている。

弁財天供養塔(右)は文化6年(1809年)、天神宮(左)は天明3年(1783年)の造立。

双体道祖神(右)は安永9年(1780年)、不動明王塔(中)は宝暦10年(1760年)、石宮(左)は宝暦5年(1755年)の造立。

石宮(右)は宝暦6年(1756年)、天神宮(左)は安政6年(1859年)の造立。
いつ、どういう理由で当地に集積されたのかは不明だが、立派な解説板も立てられており、石造物を後世に伝えようとしている姿勢は素晴らしい。