吾妻郡東吾妻町本宿の吉岡神社。


吉岡神社の創建は不詳だが、口碑では和銅元年(708年)に田口朝臣益人の勧請と伝わる。田口益人は武内宿禰の末裔とされる貴族・歌人で、上野国守に任じられ赴任してきたといわれる。


鳥居前の太鼓橋。彫刻は虎かな。だいぶ風化してきている。

石灯籠は天保4年(1833年)の奉納。
鳥居の先に社殿らしきものが見えなかったが、そんなに遠くないだろうと歩いて進む。ところが、これが大失敗だった。

田んぼの中を数百m歩いても何も見えない。それどころか、どんどん山道になってくる。


しばらくすると、参道らしき石段が見えてきた。しかし、ちょっときつそうだったので。下の写真の道をそのまま進む。行かれる場合は、クルマで登って行くことをお勧めする。すれ違えない(と思われる)が、道はしっかりしているので。


息が切れかかったころに、やっと神門が見えてきた。随神像はなく、ご神体を表すような御幣と言うか紙垂と言うかがあるだけ。




社殿は戦火で荒れ、野火で全焼していたが、天正7年(1579年)に加辺半左衛門が再建している。加辺半左衛門って、大戸の大富豪・加部家の人かな?

大正12年(1923年)建立の神楽殿。

弘法大師が杖を刺したのが育ったといわれるホオノキ。
永承7年(1052年)源頼義が陸奥征討(前九年の役と思われる)の途上に、建久4年(1193年)には源頼朝一行が浅間巻狩りの際に参拝している。また、頼朝が「美しき岡なり」と言ったので、吉岡山となったという。ちなみに、源頼義は有名な八幡太郎義家の父親。
神仏混淆時代は「吉岡薬師」と呼ばれていた。それは、源頼朝の守り本尊である薬師如来像が納められているから。ただ拙い記憶だと、頼朝の守り本尊は「聖観音」だった気がする(自信はない)。