佐波郡玉村町五料の至徳山常楽寺。

常楽寺は天平年間(729~49年)行基の開山と伝わる。四徳山安国常楽寺と号した。至徳年間(1384~87年)に至徳山と改めている。
行基は聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘され、その功績などから東大寺の「四聖」の一人に数えられている。行基が開創(開山・開基)したとされる寺院は全国に約600寺あるとされるが(群馬県内にも多い)、その多くは伝承の域を出ない(常楽寺がそうだと言っているわけではない)。



山門前の参道には多くの石仏・石塔類が並ぶ。二十二夜塔(如意輪観音)は享保4年(1719年)、地蔵菩薩像は安政5年(1858年)、百番供養塔は寛政6年(1794年)の銘が読み取れた。

本堂は明治18年(1885年)に焼失、同24年(1891年)に再建されている。直近では平成13年(2001年)に改修されている。

本堂前に薬師如来像(左)と馬頭観音像(右)が置かれている。いずれも室町(南北朝)期の作とされる。薬師堂に納められているとのことだったが、境内にお堂は見当たらず、本堂前に置かれていた。


弘法大師像。天保5年(1834年)の大師1000年忌の造立。


無縁仏墓の頂上の石仏(石像)は室町(南北朝)期の弘法大師像とされる。

法華経二千部供養塔。文化8年(1811年)の造立。


境内の池。ツツジが綺麗に咲いていた。本堂改修前の屋根瓦も置かれていた。
常楽寺は天明3年(1783年)の浅間山大噴火時、利根川を流れてきた泥流により多くが埋没している。当時は人手で掘り出すしかなかったが、復興を遂げている。