上州まったり紀行

群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 伊勢崎市・佐波郡


佐波郡玉村町五料の至徳山常楽寺。

常楽寺 (1)
常楽寺は天平年間(729~49年)行基の開山と伝わる。四徳山安国常楽寺と号した。至徳年間(1384~87年)に至徳山と改めている。

行基は聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘され、その功績などから東大寺の「四聖」の一人に数えられている。行基が開創(開山・開基)したとされる寺院は全国に約600寺あるとされるが(群馬県内にも多い)、その多くは伝承の域を出ない(常楽寺がそうだと言っているわけではない)。

常楽寺 (2)
常楽寺 (3)
常楽寺 (4)
山門前の参道には多くの石仏・石塔類が並ぶ。二十二夜塔(如意輪観音)は享保4年(1719年)、地蔵菩薩像は安政5年(1858年)、百番供養塔は寛政6年(1794年)の銘が読み取れた。

常楽寺 (5)
本堂は明治18年(1885年)に焼失、同24年(1891年)に再建されている。直近では平成13年(2001年)に改修されている。

常楽寺 (6)
本堂前に薬師如来像(左)と馬頭観音像(右)が置かれている。いずれも室町(南北朝)期の作とされる。薬師堂に納められているとのことだったが、境内にお堂は見当たらず、本堂前に置かれていた。

常楽寺 (7)
常楽寺 (8)
弘法大師像。天保5年(1834年)の大師1000年忌の造立。

常楽寺 (9)
常楽寺 (10)
無縁仏墓の頂上の石仏(石像)は室町(南北朝)期の弘法大師像とされる。

常楽寺 (11)
法華経二千部供養塔。文化8年(1811年)の造立。

常楽寺 (12)
常楽寺 (13)
境内の池。ツツジが綺麗に咲いていた。本堂改修前の屋根瓦も置かれていた。

常楽寺は天明3年(1783年)の浅間山大噴火時、利根川を流れてきた泥流により多くが埋没している。当時は人手で掘り出すしかなかったが、復興を遂げている。


佐波郡玉村町五料の飯玉神社。

五料飯玉神社 (1)
五料飯玉神社 (2)
五料飯玉神社は応仁2年(1468年)那波氏が堀口村(現在の伊勢崎市堀口町)の飯玉神社より分霊を勧請したもの。明治40年(1907年)に近隣の石神神社、白山神社、養蚕神社を合祀している。

参道は西側から入り、社殿前で北転する。参道は昭和15年(1940年)に整備されたようだ。元は南側にまっすぐ参道が延びていたのだと思う。

鳥居前の灯籠は文政4年(1821年)の奉納。

五料飯玉神社 (3)
五料飯玉神社 (4)
五料飯玉神社 (5)
社殿は平成19年(2007年)の新築建立。ただ新築は拝殿と本殿覆屋のみのように見える。

五料飯玉神社 (6)
本殿には見事な彫刻が施されているが、防護網の目が細かく見づらい。写真も防護網の方にフォーカスされてしまい、上手く撮れなかった。

五料飯玉神社 (7)
社殿脇には多くの力石が置かれている。

五料飯玉神社 (8)
五料飯玉神社 (9)
境内社の八幡宮、菅原神社、八坂社などと、不完全な形の御神灯や石宮。

五料飯玉神社に合祀された水神宮のお祭りとして「水神祭」が伝わっている。利根川と烏川が合流する五料地区は水運が発達し、船頭も多かったことから水難除け祈願から始まったとされている。


動画があったので参考までに。

麦わらや竹などから約7mの舟を造り、地区内を曳いて廻った後に利根川に流す。水神祭は群馬県の重要無形民俗文化財に指定されている。

*今年(令和4年度)の水神祭は、新型コロナウイルスによる感染症の動向に鑑みて、規模を縮小して関係者で執り行うことになったとのこと。


佐波郡玉村町飯倉の飯玉神社。

飯倉飯玉神社 (1)
飯倉飯玉神社 (2)
飯倉飯玉神社は応仁年間(1467~69年)那波氏が堀口村(現在の伊勢崎市堀口町)の飯玉神社より分祀し創建。那波氏が領内に創建した99社のひとつ。天正18年(1590年)に那波氏が滅んだ後も、郷民が鎮守として祀り続けてきた。
(堀口飯玉神社は「那波総社 -堀口飯玉神社-」参照)

鳥居は平成5年(1993年)の建立。皇太子殿下(現天皇陛下)の御成婚記念とあった。

飯倉飯玉神社 (3)
飯倉飯玉神社 (4)
飯倉飯玉神社 (5)
拝殿は19世紀中ころ、本殿は18世紀中ころの建立とされる。本殿は覆屋内なので見られないけど。

飯倉飯玉神社 (6)
飯倉飯玉神社 (7)
境内に富士塚のようなものがあるが、その上に鎮座するのは境内社の諏訪神社。

飯倉飯玉神社 (8)
飯倉飯玉神社 (9)
麓には養蚕神(石碑)や石上社、比叡大神(石碑)。

飯倉飯玉神社 (10)
五軒組氏神様。五軒の斎藤さんの氏神だという。

飯倉飯玉神社 (11)
飯倉飯玉神社 (12)
境内社の天満宮。囲われている大杉の根元に天満宮が鎮座している。

飯倉飯玉神社 (13)
飯倉飯玉神社 (14)
境内に遊具が設置されている。滑り台や鉄棒、ブランコは他所でも見かけるが、シーソーはあまり見ない。

飯倉飯玉神社 (15)
隣の飯倉公民館の敷地一角に「浸水水位」と矢印の書かれた案内板が設置されている。昭和22年(1947年)のキャサリーン(カスリーン)台風による烏川の洪水時の最高水位らしい。数値は書かれていないが2m以上あったと思う。

群馬県内で592人の死者を出す大災害となった。この表示が水害対策になるわけではないが、災害を忘れないためにはよい試みだと思う。


佐波郡玉村町飯倉の飯玉山慈恩寺。

慈恩寺 (1)
慈恩寺 (2)
慈恩寺は明和3年(1766年)心頼法印の開山。心頼は父から譲られた(相続した)田畑を利用し新寺を建て、仏門に入ったとされる。

山門は武家屋敷の長屋門風だ。

慈恩寺 (3)
吹き流しが風にそよいでいた。吹き流しには魔除けの意味があるので、上げているのかな。

慈恩寺 (4)
本堂は明治36年(1903年)に落雷で焼失、同39年(1906年)に再建されている。近年では平成12年(2000年)に改修されている。

慈恩寺 (5)
六地蔵。

慈恩寺 (6)
百番供養塔。文政13年(1830年)の造立。百番供養塔は100ヶ所の札所を巡礼した記念塔。四国、西国、秩父と記されていた。

県内の百番巡礼は西国33札所、坂東33札所、秩父34札所の組合わせが多い。四国は遠いうえに海を渡らないといけないので、上野国からはなかなか大変だったと思う(もちろん西国も遠いけど)。

慈恩寺 (7)
宝篋印塔。紀年銘は見あたらなかった。相輪部がない状態。下に宝珠らしきものが置かれているが、別の宝篋印塔のものだと思う。

慈恩寺 (8)
地蔵菩薩(左)は分かるが、右の石仏は何だろう。馬頭観音かな。

慈恩寺には明治19年(1886年)から同25年(1892年)まで五料尋常小学校が置かれている。明治25年に芝根尋常小学校(現在の玉村町立芝根小学校)が創立、統合されている。


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那波小太郎・小次郎の墓 -天増寺 その2-
稲垣氏累代の墓 -天増寺-
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霊験あらたか? -伊勢崎・権現山-
琴を弾くから「ことはにクン」 -相川考古館-
時を告げる大正ロマン -伊勢崎・時報鐘楼-


玉村町
玉村町上福島・北部公園内のバラ園
玉村町上福島・砂町遺跡
玉村町下茂木・神明宮
玉村町下茂木・妙日山法蓮寺
玉村町上飯島・稲荷神社
玉村町上新田・稲荷神社
玉村町上新田・薬王山萬福寺
玉村町角渕・王子稲荷神社
玉村町角渕・医王山本泉寺
玉村町下新田・八幡山神楽寺
源頼朝の勧請 ー玉村八幡宮 その2ー
源頼朝の勧請 ー玉村八幡宮ー
家鴨(アヒル)塚 ー称念寺ー
玉村町下新田・岩崎山西光寺
玉村町15号墳
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伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
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玉村八幡宮の元宮 -角渕八幡宮-
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玉村太郎の館跡 -観照寺-
斎藤宜義の墓 -宝蔵寺-
雷の神様を祀る -火雷神社-
玉村町福島・玉村町歴史資料館
滝川一益も見た風景 -軍配山古墳-


佐波郡玉村町上福島の北部公園内のバラ園。

玉村町北部公園 バラ園 (1)
バラ園には80種・380本のバラが植栽されている。四季咲きのバラが多いので四季を通じて楽しむことができるという。バラは玉村町の「町の花」になっている。

玉村町北部公園 バラ園 (2)
玉村町北部公園 バラ園 (3)
玉村町北部公園 バラ園 (4)
玉村町北部公園 バラ園 (5)
玉村町北部公園 バラ園 (6)
玉村町北部公園 バラ園 (7)
玉村町北部公園 バラ園 (8)
玉村町北部公園 バラ園 (9)
玉村町北部公園 バラ園 (10)
アウェイクニング、アスピリンローズ、ヴェスターラント、エル、ストロベリーアイス、つるブルームーン、ネオン、マイナウフォイアー、ロイヤルサンセット、月光、新雪、マジックメイディランド、ラヴェンダードリームなどの品種があるようだ。

写真の順番と品種の記載順は、まったく対応してないです。写真を撮っている途中で分からなくなってしまった。すみません。

*訪問日は5月下旬なので、現在の開花状況とは異なります。


佐波郡玉村町上福島の砂町遺跡。

玉村町北部公園 (1)
砂町遺跡は玉村町北部公園整備に伴い発見され、平成10年~11年(1998~99年)に発掘調査が行われている。その結果、平安時代の水田や奈良時代の道路跡(推定「東山道」)、古墳時代前期の灌漑用水跡が発見され、県内外からも注目を集めている。

遺跡中の東山道(約130mの道路遺構)辺りに「砂町遺跡東山道駅路」の説明板がある。ただ、残念ながら調査後はすべて埋め戻され公園になったようで、遺構などは見られない。

玉村町北部公園 (2)
砂町遺跡の説明板は公園の奥の方にある(公園総合案内板の写真に赤丸をつけた)ので見つけづらい(苦笑)。公園は3つのゾーン(「自然とやすらぎのゾーン」「広場と遊びのゾーン」「スポーツゾーン」)に別れているのだが、その内の「自然とやすらぎのゾーン」の一番奥になる。

砂町遺跡の説明板を探しながら公園内をブラブラしたので、一部を紹介する。

玉村町北部公園 (3)
休憩所。中に入っていないので、何があるのか不明。

玉村町北部公園 (4)
玉村町北部公園 (5)
こども広場。いろいろな遊具がある。ロング滑り台やトンネル滑り台など。

玉村町北部公園 (6)
イモ虫? これ、どこに乗るの? 幼児だとツノの間に座れるのかな。

玉村町北部公園 (7)
玉村町北部公園 (8)
修景池は玉村町の形をしているらしい(総合案内板の写真を見てください)。真ん中には花木の島があり、休憩できるように東屋がある。

玉村町北部公園 (9)
玉村町北部公園 (10)
修景池の奥(北側)には上毛三山を模したという3つの築山がある。ただ、分かりづらい。この築山の一角に、目的だった「砂枚遺跡」の説明板がある。


佐波郡玉村町下茂木の神明宮。

下茂木神明宮 (1)
下茂木神明宮は正和年間(1312~17年)左近衛中将・檜前公綱が伊勢神宮の両宮(皇大神宮と豊受大神宮)からの分祀により創建したと伝わる。檜前公綱に関してはよく分からないが、往古、佐位郡に勢力を置いた有力豪族・檜前部君の一族と思われる。

大正3年(1914年)に芝根村字神明から現在地に遷座している。ちなみに芝根村が玉村町と合併したのは昭和30年(1955年)の昭和の大合併のとき。

下茂木神明宮 (2)
狛犬は昭和63年(1988年)、灯籠は昭和10年(1935年)の奉納。

下茂木神明宮 (3)
下茂木神明宮 (4)
下茂木神明宮 (5)
本殿は18世紀の始めに斎田村(現在の玉村町斎田)から移転されたと伝わるが、詳細は分からない。本殿覆屋は文久3年(1863年)の建立とされる。

下茂木神明宮 (6)
下茂木神明宮 (7)
境内社・末社群。阿夫利神社、石神神社など。

下茂木神明宮 (8)
愛宕山大権現(右)と道祖神(左)。愛宕山は弘化2年(1845年)、道祖神は大正4年(1915年)の造立。

下茂木神明宮 (9)
五輪塔の残骸のようなものがあった。空輪は明らかに別物だし、よく見ると火輪と水輪も違う。複数あった五輪塔の残骸の組合わせかな。


佐波郡玉村町下茂木の妙日山法蓮寺。

法蓮寺 (1)
法蓮寺は文和元年(1352年)の開創と伝えられる。明応6年(1497年)に火災で焼失。文亀元年(1501年)に斎藤盛光が再興したとされる。斎藤盛光は関東管領・山内上杉家の家臣で金窪城主。金窪城は現在の埼玉県上里町金久保にあった城。ただし、盛光が金窪城主になったのは大永4年(1524年)。

当時、利根川や烏川がどの辺りを流れていたか不明だが、現在の上里町と玉村町は同じ勢力圏だったということ。

法蓮寺 (2)
門前の六地蔵。昭和57年(1982年)の造立。

法蓮寺 (3)
馬頭観音像。文久元年(1861年)の造立。

法蓮寺 (4)
二十二夜講関連の如意輪観音像。宝暦6年(1756年)の造立。

法蓮寺 (5)
大きな布袋尊像。平成16年(2004年)の造立。

法蓮寺 (6)
山門は老朽化が進んでいる。屋根瓦は今にも剥がれ落ちそうだ。

法蓮寺 (7)
本堂は宝永年間(1751~64年)、明和年間(1764~72年)にも火災で焼失、その都度再建されている。現在の本堂は平成7年(1995年)の新築建立。

法蓮寺 (8)
境内なのか隣接地なのか不明だが、遊具(ブランコ・滑り台)が設置されている。そこそこ広いスペースがあり、子どもたちが遊ぶには良い場所と思う。


佐波郡玉村町上飯島の稲荷神社。

上飯島稲荷神社 (1)
上飯島稲荷神社の由緒は不詳。明治末の神社合祀政策(一村一社政策)により廃社となったが、地域の方々が現在まで祀り続けている(正式に復祀されているかは不明)。

上飯島稲荷神社 (2)
上飯島稲荷神社 (3)
上飯島稲荷神社 (4)
内部本殿、覆屋(社)などは平成5年(1993年)の新築建立。以前の建屋は享保7年(1722年)の棟札が残されていた。

上飯島稲荷神社 (5)
境内社・末社。詳細不明。

上飯島稲荷神社 (7)
庚申塔と道祖神。

上飯島稲荷神社 (8)
狭い境内ではあるが、滑り台が1台設置されている。

ちなみに、明治末の神社合祀政策は神社の数を減らし、残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせることにあった。その結果、多くが「稲八金天」と称される稲荷神社・八幡神社・金刀比羅神社(琴平神社)、天満宮(北野神社)に合祀されている。


佐波郡玉村町上新田の稲荷神社。

上新田稲荷神社 (1)
上新田稲荷神社 (2)
上新田稲荷神社は文化9年(1812年)字小柴にあった小祠を現在地に移転したもの。小祠の由緒は不明。口碑では例幣使街道ができる前からあったとされるので、江戸期以前から祀られていたと思われる。

鳥居は平成2年(1990年)の建立。

上新田稲荷神社 (3)
上新田稲荷神社 (4)
上新田稲荷神社 (5)
社殿は現在地に奉祭当時の建立で、平成2年(1990年)に改築している。

上新田稲荷神社 (6)
鳥居横の庚申塔、道祖神、猿田彦大神の石塔。

上新田稲荷神社 (7)
上新田稲荷神社 (8)
境内社・末社の秋葉社、疱瘡社など。他に八坂社、菅原社。

上新田稲荷神社には獅子舞が伝わっている。元禄年間(1688~1704年)には行われていたとされる。初午(春の例祭)の日に氏子の安泰、五穀豊穣、悪魔払いを祈願する。

なお上新田地区にはもう一社稲荷神社がある(字新田西)。明治44年(1911年)に本記事の稲荷神社に合祀されたが、現在も当所に地域の方々が祀っている。


佐波郡玉村町上新田の薬王山萬福寺。

萬福寺 (1)
萬福寺は寛永年間(1624~44年)の創建と伝えられるが、詳細は不詳である。

萬福寺 (2)
門前には石仏群が並ぶ。

萬福寺 (3)
門前の庚申塔と馬頭観音。庚申塔には元文4年(1739年)、馬頭観音には文化4年(1807年)の造立。

萬福寺 (4)
本堂の建立年など、詳細は不明。本尊の不動明王を祀る。

萬福寺 (5)
六地蔵は平成3年(1991年)の造立。

萬福寺 (6)
萬福寺 (7)
本堂隣の薬師堂。薬師如来石像を祀る。こちらも由緒など詳細不明だが、薬王山の山号は薬師如来石像に由来するのかもしれない。


佐波郡玉村町角渕の王子稲荷神社。

王子稲荷神社 (1)
王子稲荷神社 (2)
王子稲荷神社の由緒は不詳。

王子稲荷神社 (3)
王子稲荷神社 (4)
王子稲荷神社 (5)
お社は昭和16年(1941年)に改築されているようだ。覆屋は扁額の日付から昭和49年(1974年)の建築だろうか。

王子稲荷神社 (6)
「梨本宮守正王殿下観戦所」の標柱。守正王は皇族軍人(最終的に元帥陸軍大将)なので、当地での演習を観戦したのだろうか?

王子稲荷神社 (7)
王子稲荷神社が鎮座しているのは「玉村町19号墳」と呼ばれる円墳。現状、直径約21.2m、高さ2.1m。


佐波郡玉村町角渕の医王山本泉寺。

本泉寺 (1)
本泉寺は慶長年間(1596~1615年)に青柳村(現前橋市青柳町)の重算を招いて開山。ただ、文化10年(1813年)、文政12年(1829年)に火災に遭い古記録を焼失しており、詳細は不明となっている。

本泉寺 (2)
本泉寺 (3)
本堂は文政12年(1829年)の火災後、明治24年(1891年)に再建。現在の本堂は平成27年(2015年)の新築建立。

本泉寺 (4)
六地蔵は昭和50年(1975年)の造立。

本泉寺 (5)
本泉寺 (6)
参道の石仏群。馬頭観音には宝暦14年(1764年)、双体道祖神には明和5年(1768年)の銘が読み取れた。

本泉寺 (7)
境内に板碑があったが、詳細不明。下部3分の1あたりで折れているようだ。

本泉寺 (8)
訪問時は境内の桜が満開だった。桜の花びらが境内を覆い、趣きのある風景となっていた。


佐波郡玉村町下新田の八幡山神楽寺。

神楽寺 (1)
神楽寺 (2)
神楽寺の創建は不明であるが、古くから修験僧が出入りする寺院であった。永正年間(1504~21年)に白井城主・長尾憲景の家臣・吉里対馬入道が堂宇を建立し偏照院神楽寺とした。慶長15年(1610年)に八幡宮を角渕から当地(下新田)に遷した際に八幡宮の別当寺になり、山号を八幡山としている。

神楽寺 (3)
山門前の地蔵像など。お地蔵さんの台座には貞享5年(1688年)の銘があった。

神楽寺 (4)
神楽寺 (5)
本堂は安政6年(1859年)に焼失、慶応元年(1865年)に再建されている。その際、万日動の本尊・阿弥陀如来を本堂に遷し本尊としている。現在の本堂は昭和9年(1934年)の建立。なお。この時に万日堂を合併している。

神楽寺 (6)
神楽寺 (7)
境内の不動堂は文化7年(1810年)の勧請。由緒などは不明。

神楽寺 (8)
神楽寺 (9)
鐘楼は昭和49年(1974年)の改築。

神楽寺 (10)
聖観音像。昭和52年(1977年)の造立。

神楽寺 (11)
羅漢像。平成8年(1996年)の造立。

神楽寺 (12)
神楽寺 (13)
季節がら境内の桜が満開で、見とれるくらい綺麗だった。隣の玉村八幡宮には参拝する方が数多く見られたが、神楽寺にはオレしかおらず桜を独り占めって感じだった。


佐波郡玉村町下新田の八幡宮。
前回(「源頼朝の勧請 ー玉村八幡宮ー」)に引き続き玉村八幡宮の2回目。

玉村八幡宮 (1)
境内社の淡島神社と猿田彦神社。ひとつのお社に2社が入っている。

玉村八幡宮 (2)
玉村八幡宮 (3)
淡島神社。通称人形神社とあったが、和歌山市の総本社が人形供養で知られるからかな。毎月10日を人形感謝祭の日とし、人形・ぬいぐるみ・こいのぼりなどの供養を行っている。

玉村八幡宮 (4)
玉村八幡宮 (5)
猿田彦神社。通称加恵瑠神社とある。「カエル」と読むのだろうが初耳だ。猿田彦がニニギの先導をしたという神話からから交通安全の神として信仰されているのを「無事カエル」と引っかけているようだ。

玉村八幡宮 (6)
境内には二宮金次郎(尊徳)の銅像がある。最近では小学校でも見ることはなくなった。

玉村八幡宮 (7)
社務所前の三猿。マスクをした上に、「聞かざる」には「新型コロナウィルス去る!」との掛札が掛かっている。

玉村八幡宮 (8)
玉村八幡宮 (9)
ご神木の楠木。幹が途中から2本になっていることから、夫婦楠木と呼ばれている。

玉村八幡宮 (10)
社殿前の灯籠。承応元年(1652年)に上茂木の田口所左衛門廣次が奉納したもの。総高195cm。玉村町では最古の灯籠。なぜかおみくじ掛けに囲まれている(一対なのでもう1基あるが同じ状態)。

玉村八幡宮 (11)
境内社の稲荷神社、猿田彦大神、古峯神社(向かって左から)。中央の猿田彦大神の石碑は万延元年(1860年)の造立で、平成14年(2002年)に改めて社殿が建立されている(先の猿田彦神社)。

玉村八幡宮 (12)
玉村八幡宮 (13)
玉村八幡宮 (14)
玉村八幡宮 (15)
厳島神社。弁財天を祀る。お堀が囲んでおり浮島のようになっている。

玉村八幡宮 (16)
国魂神社。社殿は明治43年(1910年)に建てられた玉村小学校の奉安殿。奉安殿は天皇・皇后両陛下の御真影と教育勅語を納めた建物。先の大戦後、奉安殿の多くは破壊・解体されたが、一部においてはこのように神社の社殿として使われているケースがある。
(「前橋市総社町・御霊神社」「渋川市赤城町津久田・赤城護国神社」など)

玉村八幡宮 (17)
竹内勇水の句碑。「啼くきすてて 思いなげなる雉(きぎす)かな」。勇水は享保13年(1728年)下新田生まれ。那波俳壇を代表する俳人。文化9年(1812年)85歳で没する。


佐波郡玉村町下新田の八幡宮。

玉村八幡宮 (1)
玉村八幡宮 (2)
玉村八幡宮は建久6年(1195年)に源頼朝が上野国奉行・安達盛長に命じ、鶴岡八幡宮の分霊を勧請、角渕村(現在の玉村町角渕)に創建。口碑では頼朝が三原(吾妻郡嬬恋村)へ赴く途中角渕にて休息した際、烏川の地形が鎌倉の由比ヶ浜に似ていたためとされる。

慶長15年(1610年)に関東郡代・伊奈備前守忠次が、当地の新田開発の成功(前橋の天狗岩用水を延長する代官堀の開削)により、角渕八幡宮の社殿を上新田と下新田の境(現在地)に移築した。

元地(玉村町角渕)には現在も八幡宮が祀られている。
(「玉村八幡宮の元宮 -角渕八幡宮-」参照)

境内地は伊奈忠次の陣屋と開発に協力した和田与六郎の屋敷に挟まれた中世の環濠屋敷跡とされる。ちなみに、和田与六郎の名は玉村町の旧大字名(与六分)として残っている。与六分とは「与六のもの」という意味。

玉村八幡宮 (3)
玉村八幡宮 (4)
随神門は慶応元年(1865年)の建立。入母屋造楼門。

玉村八幡宮 (5)
天井には俳句とそれにちなんだ花の絵が描かれている。

玉村八幡宮 (6)
玉村八幡宮 (7)
向かって左側の随神と三猿。右には随神と神輿があった。

玉村八幡宮 (8)
随神門から狛犬までの参道に敷石が残されている。以前は一の鳥居から社殿まで続いていたという。この敷石は一見商人風の者がやって来て、街道から社殿までの間に敷石をしたいと願い出た。そして材料から石工、人夫に至るまで全部自ら用意して工事を行い完成させた。完成すると、姓名も住所も名乗らず立ち去ったという。

狛犬は昭和2年(1927年)の奉納。

玉村八幡宮 (9)
二の鳥居は昭和10年(1935年)の建立。

玉村八幡宮 (10)
二の鳥居前に力石が置かれている。重さは48貫(約180kg)。弘化4年(1847年)に武蔵国神奈川の徳次郎と武蔵国岩槻の長次郎が、この石を担ぎ上げたと刻まれている。

玉村八幡宮 (11)
玉村八幡宮 (12)
お堀にかかるご神橋と中門。

玉村八幡宮 (13)
玉村八幡宮 (14)
前橋藩主・酒井氏の崇敬厚く、寛永15年(1638年)酒井雅楽頭忠清によって社殿の修理が行われるなど、以降数度の修築が行われている。近年では平成11年(1999年)に修理が行われている。

ちなみに、酒井忠清は江戸幕府の老中首座・大老(主に徳川家綱が将軍時)を務めた実力者。大老時代は専制的に権勢を振るったと評される傾向にある。そのため「下馬将軍」と俗称されたといわれる。

玉村八幡宮 (15)
本殿は永正4年(1507年)の建立で、角渕から移築された当時のものとされる。明和8年(1771年)に内陣の天井を高くし火燈窓を取り付けたことにより、現状とほぼ同じ形態となっている。昭和25年(1950年)に国の重要文化財に指定されている。

玉村八幡宮 (16)
玉村八幡宮 (17)
神楽殿は文化年間(1804~17年)の建立。春の例祭時に太々神楽が奉納される。

少し長くなってしまったので、他の建造物や境内社などは別記事で紹介する。と言うことでつづく。


佐波郡玉村町下新田の玉林山称念寺。

称念寺 (1)
称念寺は慶長年間(1596~1615年)演蓮社智誉幡随意白道上人の開山。

称念寺 (2)
称念寺 (3)
本堂は明治11年(1878年)火災で焼失。同13年(1880年)に近村の建物を購入、仮本堂とした。現在の本堂は平成8年(1996年)の建立。

称念寺 (4)
称念寺 (5)
称念寺 (6)
本堂隣りの勢至堂。勢至菩薩を祀る。勢至像は厨子の中のようだ。大正時代まで毎月23日を縁日とし、近郷・近在からの参拝人で賑わったという。これは二十三夜講のこと。二十三夜講の本尊は勢至菩薩なので。

称念寺 (7)
浅間山の溶岩。檀家の方の寄贈。

称念寺 (8)
家鴨(アヒル)塚。その名の通り家鴨を供養した塚なのだが、国定忠治に関係している。

嘉永3年(1850年)9月に捕縛された国定忠治は江戸に送られる道中、玉村宿に17日間留め置かれた。その時に目明かしの柳澤佐十郎が忠治の中風に同情し、治療のために家鴨の生血を飲ませた。その家鴨の供養のために建てられたのが、この家鴨塚である。安政5年(1858年)の造立と伝えらる。


佐波郡玉村町下新田の岩崎山西光寺。

西光寺 (1)
西光寺は元徳年間(1329~31年)時衆上人の開山とされる。開創時は浄土院と号し念仏道場として浄土宗に属したが、暦応4年(1341年)に那波頼広の弟である良海が真言密教の道場とした(真言宗へ改宗)。このため現在では良海を開祖としている。

享保年間(1716~36年)に角渕村(現、玉村町角渕)から現在地へ移転している。

西光寺 (2)
如意輪観音(二十二夜講)は寛政5年(1793年)の造立。

西光寺 (3)
本堂は慶応4年(1868年)の玉村大火で焼失。明治24年(1891年)に再建されている。現在の本堂は昭和54年(1979年)の建立。

西光寺 (4)
「西光密寺」の扁額は山岡鉄舟の筆である。

西光寺 (5)
境内の供養塔。宝永8年(1711年)の造立。何の供養塔かは、銘文が読めず不明。

西光寺 (6)
訪問時は境内の桜の花が綺麗に咲いていた。

開祖となっている良海は那波氏であるが、那波氏は鎌倉幕府において源頼朝を内政面で支えた大江広元の子・宗元を祖とする。良海は宗元の孫にあたる。


伊勢崎市香林町2丁目の火雷神社。

香林火雷神社 (1)
香林火雷神社 (2)
香林火雷神社の由緒は不詳。口碑によれば鎌倉時代から鎮守の社があり、それを境野氏が氏神として太郎宮として祀ったのが始まりという。その後、赤堀景秀が社殿を修理するなど尊崇が厚かった。明治10年(1877年)火雷神社と改称している。

明治42年(1909年)には菅原神社、稲荷神社と八幡神社、春日神社、山神社、樺神社、秋葉神社、神明宮などを合祀している。

鳥居扁額の2文字目(「泰◯宮」)は読めない。

香林火雷神社 (3)
狛犬は昭和15年(1940年)の奉納。

香林火雷神社 (4)
香林火雷神社 (5)
拝殿は元禄年間(1688~1704年)、昭和27年(1952年)の改築。本殿(覆屋内)は宝暦8年(1758年)の建立とされる。

香林火雷神社 (6)
香林火雷神社 (7)
摩利支天。元は火雷神社の裏にあったが、参拝者が多いので火雷神社境内に遷している。現在も勝負事の神として信仰厚く、願いが成就した時は木刀を御礼参り時に奉納する風習がある。祠の後ろには多くの木刀が納められている。

香林火雷神社 (8)
香林火雷神社 (9)
境内社の八坂神社と菅原社、山神社など。

香林火雷神社 (10)
ご神木の椎の木。

香林火雷神社のご神木は椎の木だが、「香林」の由来は松の大樹が多かったので「松の香り高く林をなした」からとされる。


伊勢崎市田部井町の鹿島宮。

田部井鹿島宮 (1)
田部井鹿島宮は建久5年(1194年)安達盛長が常陸国鹿島神宮から現在の太田市吉沢町に勧請したのが始まりとされる。その後、田部井氏が観音山に遷座。寛文9年(1669年)に現在地へ再遷座している。

寛文9年の移転時は鹿島宮以外に、西福寺・白狐稲荷神社も当地に移っている。
(「伊勢崎市田部井町・白狐稲荷神社」「伊勢崎市田部井町・白狐山西福寺」参照)

田部井鹿島宮 (2)
狛犬は昭和12年(1937年)の奉納。

田部井鹿島宮 (3)
田部井鹿島宮 (4)
社殿は現在地へ遷座した寛文9年の建立。昭和25年(1950年)に屋根を瓦葺きに改築している。拝殿前の灯籠は天明6年(1786年)の奉納。

田部井鹿島宮 (5)
田部井鹿島宮 (6)
田部井鹿島宮 (7)
田部井鹿島宮 (8)
本殿には壁画が描かれている。龍虎や天女など。

田部井鹿島宮 (9)
社殿脇の出羽三山石塔や五輪塔など。

田部井鹿島宮 (10)
五輪塔の後ろに三尊石仏がある。

田部井鹿島宮 (11)
社殿裏の境内社・末社。社名などは分からないが、五輪塔の破片が置かれているのは何?


伊勢崎市田部井町の白狐山西福寺。

西福寺 (1)
西福寺は天正2年(1574年)定誉林悦の開山。寛永年間(1624~45年)の火災により堂宇・古記録・過去帳などを焼失している。寛文9年(1669年)に白狐稲荷神社などとともに現在地に移転している。

なお、白狐山の山号は白狐稲荷神社に由来するが、詳細は分からない。
(「伊勢崎市田部井町・白狐稲荷神社」参照)

西福寺 (2)
山門前には石仏(大黒天)や念仏供養塔などが並ぶ。念仏供養塔は延享3年(1746年)の造立。

西福寺 (3)
西福寺 (4)
六地蔵塔(側面に6体の地蔵像が浮彫りされている)も2基あり、左の六地蔵塔には寛文9年(1669年)の銘がある。

西福寺 (5)
西福寺 (6)
現在地に移転後の宝永年間(1704~11年)にも火災に見舞われ、本堂は享保4年(1719年)の建立である。

西福寺 (7)
境内の大カヤは樹高21.5m、目通り3.9m、枝張りは東西約20m。樹齢はは約400年と推定される。寺伝によれば、西福寺が現在地へ移転したときに植えられたという。


伊勢崎市田部井町の白狐稲荷神社。

白狐稲荷神社 (1)
白狐稲荷神社 (2)
白狐稲荷神社の由緒は不詳だが、岩松時兼の4男・経氏が田部井を領し田部井氏を名乗ったころと推定されている。年代的には鎌倉時代初頭になる。元は観音山と呼ばれる場所にあったが、寛文9年(1669年)に現在地に移転している。

白狐稲荷神社 (3)
白狐稲荷神社 (4)
手水舎にはビールの空き缶で作った風車(?)が勢いよく回っていた(この日は風が強かった)。

白狐稲荷神社 (5)
白狐稲荷神社 (6)
現在の社殿は昭和51年(1976年)の建立。

徳川時代に当地を領していた旗本・平岩氏の崇敬厚く、広い境内に立派な社殿を擁していたようだ。言い伝えでは社殿に面する参道は幅は8m、長さ150mもあり、祭日には参道の両側に屋台が並び近郷近在からの参拝者で賑わったという。


伊勢崎市西小保方町の八幡宮。

西小保方八幡宮 (1)
西小保方八幡宮 (2)
西小保方八幡宮は慶長5年(1600年)久永源兵衛重勝が小保方村の領主となるに際し、武運長久・領土安穏を祈願して創建。明治42年(1909年)に西小保方の雷電神社、上田の琴平神社を合祀している。

西小保方八幡宮 (3)
鳥居前には大きな灯籠がある。文化10年(1813年)の奉納。

西小保方八幡宮 (4)
杉の木に囲まれた参道。

西小保方八幡宮 (5)
西小保方八幡宮 (6)
社殿の建立年などは不明だが、最近屋根の改修をしているようだ。参拝用の鈴と紐は令和2年(2020年)の奉納。

西小保方八幡宮 (7)
境内社・末社群。菅原神社、赤城神社、稲荷社、猿田彦神など。石宮のひとつには安政4年(1658年)の銘があった。

西小保方八幡宮 (8)
西小保方八幡宮 (9)
境内北側(社殿裏)の鳥居。

久永氏は石見国(島根県)の出身で、当地以外(埼玉や茨城)にも領地を持つ禄高3200石の旗本であった。久永氏の陣屋は、現在の大東神社(東小保方町)境内地にあった。
(「旗本・久永氏陣屋跡 -大東神社-」参照)


伊勢崎市東町の法福山龍善寺。

龍善寺 (1)
龍善寺は弘治元年(1555年)順重法師の創建と伝わる。元禄年間(1688~1704年)に尊祐が現在地に移転。そのため尊祐を中興開山としている。安永年間(1772~81年)に火災により焼失。由緒・沿革などの古記録を失い、その詳細は不明になっている。

龍善寺 (2)
龍善寺 (3)
龍善寺 (4)
本堂は平成18年(2006年)新築建立。本堂前の灯籠(3対)も同年に檀徒の方々が奉納したようだ。

龍善寺 (5)
屋根の鬼瓦もまだ新しい。

龍善寺 (6)
境内脇のクスノキ。平成20年(2008年)の植樹。

龍善寺のご本尊は釈迦如来だが、別に不二観音(秘仏)が安置されている。口碑によると今から200有余年前、夜更けに読経が聞こえるので僧が不思議に思いその声の方向に行くと、そこは元の寺地であった。そこで穴を掘ってみると銅製の仏像が出てきたという。これが秘仏・不二観音だとされる。


伊勢崎市三室町の三室神社。

三室神社 (1)
三室神社 (2)
三室神社の由緒は不詳。口碑によると御諸別王が当地を開拓した際に竈(かまど)の神を祀り奥宮大明神としたのが始まりという。明治6年(1873年)に奥神社と改称。明治42年(1909年)には三室地内の雷電神社、稲荷神社などを合祀し三室神社となっている。

鳥居は平成3年(1991年)の建立。

三室神社 (3)
直ぐ後ろにも鳥居がある。二ノ鳥居と言うよりは、元々の鳥居だと思われる。

三室神社 (4)
鳥居の脇には神社由緒を記した石碑(右)と三室町の由来を記した石碑(左)が並んでいる。神社由緒碑は大正15年(1926年)、三室町の由来碑は平成17年(2005年)の建碑。

三室神社 (5)
三室神社 (6)
社殿は昭和27年(1952年)に改修されている。

三室神社 (7)
改修前の屋根に乗っていた文字瓦だと思う。

三室神社 (8)
三室神社 (9)
社殿裏の境内社・末社群。愛宕社、金比羅社、猿田彦神、秋葉社など。

三室神社 (10)
境内の大杉。

由緒に書いた御諸別王は第10代・崇神天皇の皇子である豊城入彦命の3世孫で、毛野氏の祖とされる。鳥居横の由緒古碑には「崇神帝之裔御諸別王拠所也」(崇神天皇の末裔である御諸別王の拠る所也)とあるので、三室は御諸から来ているようだ。


伊勢崎市境米岡の姥石。

米岡の姥石 (1)
米岡の姥石は「甘酒婆さん」と通称される約1mの輝石安山岩の自然石。新田義貞挙兵の際、当地で小休止していた軍勢に甘酒を振る舞っていた老婆が、大舘宗氏の馬に蹴られ死んでしまった。そこで手厚く葬ったところ、老婆が石になったといわれる。

米岡の姥石 (2)
姥石の裏側には丸いくぼみがあり、老婆が馬に蹴られた時の傷跡だと伝えられている。

姥石には百日咳に御利益があるとされ、治るとお礼に甘酒を供える風習がある。


伊勢崎市境米岡の米岡神社。

米岡神社 (1)
米岡神社 (2)
米岡神社の創建年などは不詳。明治40年(1907年)に米岡村内の神明宮、赤城神社、八幡宮などを合祀し米岡神社となっている。

米岡神社 (3)
米岡神社 (4)
米岡神社 (5)
米岡神社 (6)
社殿は幣殿が長い造り。本殿は旧赤城神社からの移築。社殿前の石灯籠に天保14年(1843年)の銘がある。

米岡神社 (7)
米岡神社 (8)
社殿裏には神輿舎。神輿舎は平成6年(1994年)の建立。神輿はこじんまりとしたシンプルな造り。境ふるさと祭に出陣しているようだ。

米岡神社は「おくまんさま」と呼ばれ、地元の方々に親しまれている。一般的に熊野神社に願をかけると必ず成就することから「恩熊野様」と崇拝されている。この「恩熊野様」がなまって「おくまんさま」と呼ばれる。米岡神社になる以前、熊野神社時代から地元に親しまれてきた証拠でもある。


伊勢崎市間野谷(あいのや)町の石造層塔。

間野谷の石造層塔 (1)
間野谷の石造層塔は凝灰岩製で、総高175cmの4重の塔である。造立年代は、その特徴から鎌倉時代と推定される。

間野谷の石造層塔 (2)
一般的に層塔は3重や5重のように奇数の場合が多く、4重という偶数の層塔は珍しい。奇数は割り切れないことから「無限」を表すといわれるため、この層塔も当初は5重であったのではないかと思う。

上部には相輪が乗っていたと思われるが、現在は五輪塔の空輪、風輪が転用されている。なお、基礎部などには格狭間・種子・仏像などは見られない。

石造層塔は、もとは間野谷共同墓地内にあったが、平成28年(2016年)の保存修理事業に伴い現在地へ移転された。

ちなみに、藤原秀郷(俵藤太)の3男・千国が、秀郷の供養のため造立したとのいわれもあるようだ。秀郷の供養塔とされる五輪塔が、同じ旧赤堀町の宝珠寺にある。これも3男・千国の造立とされる。(「藤原秀郷(俵藤太)の供養塔 -宝珠寺-」参照)


伊勢崎市波志江町の新宿(あらじゅく)の変型板碑。

新宿の変形板碑 (1)
新宿の変型板碑は高さ93cm、厚さ30.5cmで、頂部は山形をしており縁部には約4cmの縁取りが施されている。明応2年(1493年)の造立銘がある。周りの石囲いは文政10年(1827年)に造られている。

新宿の変形板碑 (2)
塔身は安山岩製で、中央に大日如来を表す種子(梵字)と円形に近い蓮華座が刻まれている。

地元では大正寺跡と呼ばれている場所なので、もともとは大正寺というお寺があったらしい。板碑の北側には、道を挟んで墓地がある。

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