佐波郡玉村町小泉の重田家住宅。
重田家は江戸時代の中頃から代々医師を家業としており、初代当主は姫路藩主のお抱え医を務めていたといわれている。当地では昭和25年(1950年)まで開業していた(現在は高崎市内で開業)。
敷地内には住宅兼医院である「主屋」の他、付属建物として「穀蔵」「西の蔵」「東の蔵」「外便所」「井戸屋形」などが現存している。「主屋」と附属建物の多くが、平成13年(2001年)国の登録有形文化財として登録された。
令和3年(2021年)重田家より建造物と敷地、及び周囲の農地が玉村町に寄贈され、現在は玉村町が歴史的な貴重品の数々を整理中である。
表門は明治23年(1890年)、塀は明治25年(1892年)ころのものを、平成23年(2011年)に再建(再現)したもの。
主屋(住宅兼診療所)。明治16年(1883年)の建築。棟札が残されている。造りは多間取り(6間取り)型の農家住宅を基本とている。中央には式台を供えた立派な玄関があり、重田家の格式を示している。
庭の植込みには「登録有形文化財」のプレートが。
近年まで居住していたことから内部は住みやすいように改装されているが、それでも明治から昭和にかけての生活ぶりが偲ばれる(1F)。もちろん、一般庶民とは違うと思うが。
2Fはまだ整理中のようだが、貴重なものがありそうだ。
重田家は昭和2年(1927年)に玉村町域で電話が開通した際、旧芝根村の最初の加入者。次に芝根村役場が加入したのは昭和9年(1934年)のこと。
重田家にはまだ小中学校にもピアノがない時代からあったという。小中学校の行事の際には、重田家からこのピアノを運んで使用したという。
穀蔵。明治31年(1898年)の建造。
西の蔵。昭和2年(1927年)の建造。入口は裏側にあるが、現在は主屋とつながり、中から入るようになっている。まだ玉村町のよる整理が進んでおらず、貴重なお宝が出てくるかも(笑)。
東の蔵。昭和3年(1928年)の建造。家伝薬の材料保管庫であったとされる。
井戸屋形。大正(1912~26年)初期の建築。
外便所。昭和元年(1926年)の建築。昭和元年は12月25日~31日までしかないので、正しくは大正15年ではないかな。
主屋裏の築山。主屋内から見て楽しめる造りになっているようだ。まだ整備が追いついていない状況。
住宅の南にある重田家初代夫妻の墓。向かって右が初代・三郎兵衛英信、左が奥方の墓。奥方は姫路藩主の姫君といわれ、妙光院殿の戒名が刻まれている。院殿号からして藩主の姫君というのもうなづける。台座で調整し高さを合わせているが、墓石そのものは奥方の方が大きいのは、当時の身分が差が理由かな。
初代の墓石には元文(1736~41年)、奥方の墓石には宝永(1704~11年)の年号が刻まれている。没年と推定される。
初代は姫路藩の医師であったということから、松平朝矩の前橋転封により当地へ転居してきたと思っていたのだが、松平家の前橋転封は寛延2年(1749年)なので年代が合わない。まっ、細かいことはいいかな。