前橋市西大室町の長尾景英の供養塔。地元では「めいがん様」と呼ばれている。

長尾景英は白井長尾氏6代当主。父・景春が主家である関東管領・山内上杉顕定、山内上杉家家宰である総社長尾氏・長尾忠景に対し反乱を起こした(長尾景春の乱)ため、当初は景春とともに戦うが後に景春と対立。景英は景春の下を離れて顕定に降り、山内上杉家の重臣に復帰している。
家督を嫡子・景誠に譲った後は、大室城に隠棲していたとされる。大永7年(1527年)に没している。48歳とされる。

長尾景英の供養塔とされる五輪塔。「明巌宗哲禅定門」と刻されており、その読みから「めいがん様」と呼ばれている。また「めいがん」との読みから、目の神様として信仰されるようになった。
景英の墓は渋川市上白井の空恵寺にあり、その戒名は「明岩窓哲」である。「めいがん様」とは漢字が異なっているが同じ読みである。
(長尾氏累代の墓は「白井長尾氏累代の墓・天霊山空恵寺 その2」参照)
なお、地元では「めいがん様」は景英の父である景春の供養塔(墓)で、景英が建立したと伝えられている。理由は分からない。なお、前橋市の「城南地区文化財巡り」にも景春の供養塔との説明が書かれている。ちなみに、景春の墓も空恵寺にある。