上州まったり紀行

Tigerdream が群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などを紹介するブログ

カテゴリ: 上毛かるた紀行


上毛かるた紀行、第15弾!

へ
(へ) 平和の使徒(つかい) 新島襄

新島襄旧宅 (2)
新島襄旧宅 (7)
新島襄旧宅
安中市にある新島襄の旧宅。新島襄自身は安中藩の江戸屋敷で生まれており、ここに居住していたのは、後に3週間という。居住というよりは滞在。

もともとは50m離れた場所にあったものを、地域の方々の保存運動により、市が買い上げ移築したとのこと。部屋は7畳半の2間。昔の長屋はこんなもんなのかな。

新島襄旧宅 (3)
新島襄旧宅 (4)
移築した時、西側半分が記念館になった。遺品や関係書類、写真が多数展示されている。

これ、ただ見ただけでは多分何にも分かんない。外国の方の写真もあるのだが、新島襄との関係とか説明文がないので。

オレが行った時は管理人さんが細かく説明してくれたので(オレしかいなかった)、非常によく理解できた。生まれから、国外脱出、帰国、布教活動、同志社創立等。管理人さん、すごくいい人。

でもここ行きずらい。旧国道18号から、すごく細い路地を行かないといけないので。


上毛かるた紀行、第14弾!

つ
(つ) つる舞う形の 群馬県

巡れない上毛かるたにノミネートしたけど、良い方法を思いついた。

歴史博物館
群馬の森
ここは高崎市綿貫町にある群馬の森。市民の憩いの広場(公園)になっており、その敷地内には県立歴史博物館と県立近代美術館がある。

歴史博物館 (6)
この県立歴史博物館は群馬県の歴史が縄文時代から近世まで、各種の展示物で綴られている。県内の古墳から出土した貴重な刀剣や埴輪等も。まあ、本当に重要なものは東京の国立歴史博物館に貯蔵されているので、レプリカが多いが・・・。

歴史博物館 (7)
そんな中、明治初期の群馬県の変遷が図示されている。これこそが「つる舞う形の群馬県」の誕生である。明治維新後の廃藩置県、合併・消滅等を経て、1876年(明治9年)だいたい現在の形になった。

まあ、こんなもんでご勘弁を!

最後にボツネタを。

さちの池
これは、前橋公園内にある「さちの池」。群馬県の形をしている。県庁の展望ホールから良く見える。これでは、あんまり面白くないので、ボツ!!

ついでに、県庁内に群馬県の形をした、小さい噴水(?)がある。これも同様の理由で。ボツ!!


上毛かるた紀行、第13弾!

け
(け) 県都前橋 生糸の市(いとのまち)

県庁 (5)
県庁 (2)
まあ、県都というくらいだから、県庁に行って来れば充分。永いこと群馬に住んでるけど、初めて県庁に行った。あまりに立派すぎて・・・。これなら、もう少し県民税安くできるんじゃないの?(話しがズレた。)

県庁 (4)
32階の展望ホールからは、東西南北が眺望でき、良い眺めだった。初めて来た記念に、スタンプも押して。

ところで、県庁は高さ153.8mで群馬県で1番高い。2番目は高崎市役所。県内の1位2位がお役所って、ちょっと引っかかるのはオレだけ?

さっ、帰えろっと思ったのだが、生糸の市の方も巡らないとかな。ということで、次に行ったのが、前橋蚕糸記念館。敷島公園のばら園内に
ある。1番奥の隅っこだけど。

前橋蚕糸記念館 (3)
前橋蚕糸記念館 (4)
前橋蚕糸記念館 (7)
前橋蚕糸記念館 (2)
まあ、前橋の養蚕の歴史や、古い書物や機械等。前回の日本絹の里と展示の趣旨は近い。
(日本絹の里は、「繭と生糸は日本一」参照。)

ただ、この建物は歴史があって、元々は国立原蚕種製造所前橋支所で、明治44年(1911年)のもの。全国に6箇所造られたが、現存するのはここだけ。

歩くたびに床がミシミシ・ギシギシいって、踏み抜いちゃうんじゃないかとヒヤヒヤ。


上毛かるた紀行、第12弾!

ま
(ま) 繭と生糸は 日本一

群馬県は養蚕業が盛んで、絹織物等の名産が各地にある。群馬の養蚕業に関して、いろいろ学べるのが高崎市金古町にある県立日本絹の里(博物館)。

日本絹の里 (11)
日本絹の里 (7)
館内は群馬県の養蚕業の歴史や昔の機織り機から、遺伝子組み換えによる群馬オリジナルの繭等、新旧合わさった展示となっており意外と楽しめる。

日本絹の里 (4)
日本絹の里 (8)
日本絹の里 (9)
古い繭が保存されていたり、伝統産業の絹織物の展示もある。

日本絹の里 (10)
日本絹の里 (3)
機織りも体験できる。この日は女性が実際に体験していた。説明・指導役のおばさんも丁寧だった。

オレが物心ついたころ、うちも養蚕をやっていた。カイコに桑の葉をあげたりして、遊んでいた記憶がかすかにある。近所では、最近まで養蚕をやっていた農家があった。でも今はどうなんだろう。あんまり見なくなったような気がする。


上毛かるた紀行、第11弾!

し
(し) しのぶ毛の国 二子塚

二子塚って、どこかの古墳の固有名詞かと思っていたけど、いろいろ調べた結果、前方後円墳を示す普通名詞みたい。つまり、群馬県は古墳がいっぱいあることを詠んでいるらしい。

ということで、前方後円墳ならどこでも良かったのかもしれないが、一応二子山(二子塚)と名の付いている古墳にした。

まず思いついて行ってみたのが、前橋市総社町にある二子山古墳。

総社二子山古墳 (2)
総社二子山古墳
総社二子山古墳 (4)
全長86mあるのだが、住宅街の真ん中にあるので、全景は良く分かんなかった。太刀、勾玉、長頸壺、高杯等、多数の出土品あり。これだけ住宅地の中にあると、これ以上の整備は難しいかな。

総社二子山古墳 (3)
被葬者は祟神天皇の第一皇子・豊城入彦命(推定)で、後円部にその名を記した碑が建っている。

次にいろいろ調べているうちに見つけたのが、高崎市井出町にある保渡田古墳群の二子山古墳。墳丘全長108m、墓域だと213mと巨大。

二子山古墳 (4)
二子山古墳 (9)
二子山古墳 (6)
こちらは上毛野はにわの里公園として良く整備されていて、非常にきれいになっている。

かみつけの里博物館
記念館も併設されており、保渡田古墳群から出土したはにわを中心に展示している。

群馬県は約8000もの古墳が確認されており、いたる所で前方後円墳とかを見ることができる。ただ、横からだと普通の丘にしか見えない場合が多く、やっぱり古墳は上から(空から)見ないと、その雄大さは分かんない、ということを痛感。

まあ、横からだと塚がふたつあるように見えるので、二子塚というらしいけど。


上毛かるた紀行、第10弾!

わ
(わ) 和算の大家 関孝和

関孝和 (3)
関孝和 (2)
藤岡市の市民ホール駐車場の片隅(ほんとに隅っこ)に、算聖と呼ばれる関孝和の銅像がひっそりと建っている。

関孝和
隣には算聖の碑も。碑の土台はカエル?

関孝和は江戸時代の数学者で、筆算による代数の計算方法(点鼠術)を発明し、和算が高等数学として発展する基礎を作った。それまでは、算盤(そろばん)を使用する算術と、算木を使用する点元術だった。

また、正131,072角形(2の17乗)を使って、少数第11位までの円周率を正確に計算したことでも有名。まあ、難しいことはよく分かんないけど、すごい数学者だと言うこと。

関孝和はニュートン、ライプニッツと並んで、世界3大数学者とも言われている。外国での評価も非常に高い。なのに、藤岡市の扱いはちょっとひどいんじゃないの?

銅像が市民ホールの隅っこにあるのはまだ許せるとして、周りの草木は刈ってないからよく銅像が見えない。さらに、銅像の真ん前まで駐車スペースになっているので、そこに車が停まっていると銅像に近ずけもしない。算聖の碑も同様。草が枯れる冬に来いってことか?

まあ、藤岡市出身と言われているけど(江戸の生まれと言う説もある)、その生涯を藤岡市で過ごした訳ではないのでしょーがない??


上毛かるた紀行、第9弾!

に
(に) 日本で最初の 富岡製糸

富岡製糸
富岡製糸 (2)
現在、世界遺産への登録を目指していろいろ活動中。日本国内の暫定リストには登録されている。

富岡製糸 (6)
富岡製糸 (4)
建物の外観とか、フランスから来ていた指導者の居住館なんかは、歴史を感じて残すべきものだなぁ~とは思う。木造建築で外壁はレンガ貼りは珍しい和洋折衷。明治5年のレンガなんて、趣あっていいねぇ~。

富岡製糸 (17)
富岡製糸 (3)
でも、中まで見学できるのは操糸場(工場)だけ。その操糸場には、昭和60年頃まで稼働していた機械が置いてあり、ちょっと幻滅。建屋そのものは明治のままだし、造りも非常に立派なのに。一角のみでいいので、昔を再現したレプリカを置けばって思った。

あと、1時間毎に解説付き見学引率があるので、深く富岡製糸を知りたい人には良いシステムかも。解説なしでどんどん歩くと、10分くらいで見終わっちゃうので。

居住館や女工さんの寄宿舎とかにも、入れるといいんだけど・・・。


上毛かるた紀行、第8弾!

ゆ
(ゆ) ゆかりは古し 貫前神社

貫前神社 (2)
貫前神社 (5)
参道を含め、登って行く神社は多いが、ここは本殿に向けて下って行く。この写真は桜門。この奥に拝殿と本殿があるのだが、現在平成の大修復中のため参拝できず。残念!!

ちなみに、御神座は仮殿にお遷り中。上州まったり紀行で紹介したように、妙義神社の社殿も修復中で参拝できず。オレは運のないヤツだ。いや、調査・確認不足かな。(上州まったり紀行「富岡市妙義町妙義・妙義神社」参照)

貫前神社 (3)
貫前神社 (4)
まあ、鳥居へは結構な石段を登るので、足してチャラかな。オレは不心得者なので、総門横まで車で行っちゃったから石段を上ってない。

継体天皇25年(531年)の創建と言うから、もう1500年近い歴史がある。現在、一之宮貫前神社と言うが、この一之宮とはその地域で1番格式の高い神社と言うこと示したもの。つまり上野国で1番。昭和20年(1945年)に社格制度が廃止されても、その格式を名にとどめている。

貫前神社



上毛かるた紀行、第7弾!

む
(む) 昔を語る 多胡の古碑

多胡碑 (5)
多胡碑
和銅4年(711年)に多胡郡が設置され、その郡吏に羊太夫と言う人物が任命されたのを記念して造られたという説が有力。碑は劣化防止のため小屋の中に。

多胡碑
碑身・笠石・台石からなり、材質は花崗岩質砂岩。碑身は高さ125cm、幅60cmの四角柱で前面に6行80文字が丸底彫りされている。

多胡碑 (4)
記念館が併設されていて、多胡碑のレプリカもあり。けっこう展示物もあってオレ的には面白く飽きなかった。

でも、土曜の午後だというのに、入館者はオレ1人のみ。(帰り間際に、もうひとり来たけど。)シーンとし過ぎていて、足音が響くのなんのって。

これで多胡碑の保存や、記念館の維持ができるのか心配になった。

追記
「世界記憶遺産」登録を機に再訪しました。
祝・世界記憶遺産登録 上野三碑再訪
こちらもご覧ください。


上毛かるた紀行、第6弾!

の
(の) 登る榛名の キャンプ村

榛名山
榛名富士と榛名湖。榛名富士といっても、相撲取りじゃないよ(笑)。榛名湖は火山のカルデラ湖で、冬のワカサギ釣りでも有名。最近は温暖化の影響で、氷が張らなかったり、薄かったりするらしい。

榛名山 (6)
ちなみに、榛名富士にはロープウェイで登れる。確か、歩いても行けたと思う。登山好きの方はチャレンジしてみては。オレは絶対にしないけど。

榛名山 (4)
観光用の馬車もまだ走ってるけど、この日は乗ってる人はひとりもいなかった。馬にも乗れるけど、女の子が乗っているのを1回見ただけ。

こういうのは、もう流行らないのかなぁ~。

榛名山 (5)



上毛かるた紀行、第5弾!

い
(い) 伊香保温泉 日本の名湯

伊香保温泉
伊香保温泉 (2)
伊香保温泉 (3)
かるたの絵札にも描かれている温泉街の石段が有名。首都圏からも近い(車でも新幹線でも)ため、人気の温泉スポット。

伊香保温泉 (5)
石段の一部には与謝野晶子の「伊香保の街」という詩が刻まれている。

伊香保温泉 (4)
射的屋さんも、いまだに営業中。なつかしいねぇ~。

歴史的には戦国時代に織田勢に敗れた武田家の怪我の療養場所として整備されたらしい。その時代に石段(もともとは伊香保神社の参道)周辺に集まった。

せっかく伊香保温泉に行ったのに、温泉はおろか足湯にも浸かってこなかった・・・。


上毛かるた紀行、第4弾!

え
(え) 縁起だるまの 少林山

少林山 (2)
少林山 (4)
総門をくぐった後の長~~い石段を登ると、間違いなく膝が笑う!

少林山
霊符堂には、数々のだるまが、奉納されている。

少林山 (3)
達磨堂には、古今東西各種のだるまが、展示されている。群馬県出身の元首相の、名入りだるまなど。これは福田赳夫元首相のもの。(後ろの方には、ドラえもん型のだるまも。)
福田康夫元首相のオヤジさん。親子2代で首相なんて、ちょっとすごい? 中曽根元首相、小渕元首相(優子議員のオヤジさん)のがあった。みんな、息子・娘が国会議員(世襲)だなぁ~。

お参りして、また長~~い石段を降りるとき、膝が笑っているため、コケそうになる。注意!!


上毛かるた紀行、第3弾!

上毛かるた も
(も) 紅葉に映える 妙義山

妙義山 (2)
ちょっと上毛かるたの詠みとは季節が違うが、まあしょーがない。真夏の妙義山もいいもんだ。

妙義山 (4)
妙義山 (3)
ゴツゴツした岩が特徴。昔火山だった名残り。散策ルートがいくつかあり、ハイキング気分の人から上級者まで、歩くことができる。

散策ルートに行けば、有名な岩山や石の門が、間近に見られるのだが、そんな元気はない。遠目から写真撮って終わり。

まあ、妙義山の雰囲気は出てるよね。

妙義山
妙義公園の看板を以って、妙義山に行ったということで・・・。


上毛かるた紀行、第2弾!

ひ
(ひ) 白衣(びゃくい)観音 慈悲の御手

百衣観音
地元では観音山と呼ばれる山の上に立っている、高さ約42mの観音様。昭和11年(1936年)にできたと言うから、当時の土木建築技術の高さを物語る。

カップルで訪れると、観音様が嫉妬して別れることになる、というジンクスがある。

観音様の中にも入れる。但し、有料。

百衣観音 (3)
これが、慈悲の御手

百衣観音 (5)
観音様の背中側。穴のように見えるのは窓です。

百衣観音(6)
百衣観音 (4)
足もデカイ!!


昨日、お気楽に上毛かるた巡りでもするか、って書いたけど・・・。

「上毛かるた」を検索すると、思っていた以上にHITし驚いた。さらに、上毛かるた巡り(紀行)も、立派なHPやブログがたくさんあり、気が引けてしまった。群馬県の方が多いが、中には他県から家族旅行兼ねて、上毛かるた紀行を行っている方もいて、脱帽です。

とは言え、まあとりあえず行ってみた、程度の紀行のつもりだし、気が向いたらやってみることする。

さっそく第1弾。

か
(か) 関東と信越つなぐ高崎市

高崎駅
高崎駅です。
現在、東口は駅前の工事中です。いつ完成するのか知らないけど。

非常に安易だけど、詠まれている趣旨からして、高崎駅でいいような・・・。普通なら、新幹線や市役所も載せて、高崎市の歴史などを注釈として入れる、なんてするとカッコもつくのかもしれないが。まあお気楽紀行だから、こんなもんでいいでしょう。

特別に行ってきた、という訳じゃないけど、こういうのから始めないと、挫折するのは明らかなので。


群馬県には「上毛かるた」という、県内の名所・名跡、偉人を詠みこんだ、かるたがある。

 (あ) 浅間のいたずら 鬼の押し出し
  (い) 伊香保温泉 日本の名湯
  (う)  碓氷峠の 関所跡
って感じ。

県内の小学校では、上毛かるたを使った大会もある。地域社会(子供会とか育成会とか)でも、大会があったりする。

群馬県の小学生は、多分ほぼ100%の子供が、すべてを諳んじられると思う。大人でも、多少忘れているかもしれが、同様ではないか。オレも、いくつか出てこなかったが、ほとんどいまだに言える。

逆に、「いろはかるた」なんて、犬も歩けば~とか、有名なのしか知らない。

上毛かるた巡りでもやってみるか。

上毛かるたMAP
(財)群馬文化協会HPから

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