Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 前橋市(旧市部)


前橋市(旧郡部を除く)

前橋市朝倉町・飯玉神社
前橋市朝倉町・示現山永福寺
前橋市上佐鳥町・佐鳥山西光寺
前橋市橳島町・飯玉神社
前橋市六供町・八幡宮
前橋市小相木町・富士浅間神社
前橋市箱田町・菅原神社
前橋市箱田町・教行山常円寺
かつぎ地蔵祭り ー前橋市箱田町・観音堂ー
前橋市川曲町・諏訪神社
前橋市稲荷新田町・稲荷山西福寺
前橋市下新田町・八幡宮
前橋市上新田町・末風山福徳寺
前橋市上新田町のお地蔵さま
前橋市古市町・和尚塚の多宝塔
前橋市古市町・赤烏神社
前橋市石倉町・前橋ステーション跡
前橋市下石倉町・菅原神社
前橋市南町・水神社
前橋市高井町・神明宮
前橋市総社町高井・高福山観音寺
群馬県水力発電発祥の地 ー植野(総社)発電所跡ー
前橋市総社町・御霊神社
前橋市総社町・勘九郎地蔵
前橋市総社町・総社城南出口の子育て地蔵尊
前橋市総社町・野馬塚神明宮
前橋市総社町・野馬の不動尊
前橋市総社町・旧山賀酒造レンガ蔵
前橋市総社町・八坂神社
前橋市総社町・巣烏神社
前橋市元総社町・化粧薬師(縁切り薬師)
前橋市大友町・大友神社
前橋市大渡町・王守神社
前橋市大渡町・王山古墳
前橋市石倉町・神明宮
前橋市石倉町・石倉城址の碑
片腕地蔵(身代わり地蔵) ー林倉寺ー
前橋市荻窪町・荻窪神社
前橋市総社歴史資料館
前橋市総社町・立石諏訪神社
前橋市総社町・熊谷稲荷神社
総社町の総鎮守 -総社神明宮-
前橋市小屋原町・稲荷神社
八咫鏡を作った石凝姥命を祀る -鏡神社-
前橋市東大室町・大室神社
大室城本丸跡に鎮座 -大室神社-
大胡城主・牧野康成の開基 -湯清寺-
国定忠治の愛妾・お徳の旧家屋 -観昌寺 その2-
大室太郎の墓 -観昌寺-
笂井町の氏神様 -笂井近戸神社-
前橋市・稲荷新田の薬師さま
前橋市亀里町・阿内宿の石幢
軍神・岩佐直治中佐の墓 -松竹院-
室町時代の鰐口 -東福寺-
前橋市最古の六地蔵石幢 -正法寺-
前橋市上青梨子町・淡島神社
前橋市青梨子町・菅原神社
「関東の名工」小林源太郎の彫刻 -植野稲荷神社-
天狗岩用水開削時の丁間台 -丁間稲荷神社-
高須隼人の墓 -正幸寺 その2-
慈覚大師の創建 -禅養寺-
歴代前橋藩主の崇敬社 -山王日枝神社-
石造阿弥陀如来三尊像 -後閑円満寺-
前橋市上大島町・近戸神社
百番観音 -浄土院-
前橋市・公田の岩舟地蔵
前橋市・小島田の阿弥陀如来坐像
群馬県最古の供養碑 -小島田の供養碑-
前橋市・江木の宝塔
前橋市江木町・六所神社
津久井磯の遺徳碑 -隆興寺 その2-
前橋公園の「楫取素彦と松陰の短刀」銅像
旧普蔵寺供養塔 -最善寺 その2-
前橋市・今井神社古墳
前橋市・富田の宝塔
前橋市・正円寺古墳
上州七福神・福禄寿を祀る -正円寺-
前橋市・桂萱大塚古墳
前橋城の鬼門除け -早虎稲荷神社-
前橋市・片貝能満虚空蔵地蔵尊
片貝神社の太々神楽 -片貝神社-
平敦盛の供養塔 -泉蔵寺-
赤い御霊石伝説 -小石神社-
「おくまんさま」の三つ足八咫烏石 -前橋市・熊野神社-
佐藤垢石の碑
お沓の言い伝え -前橋市・上新田雷電神社-
前橋市・鳥羽の大日如来および笠塔婆
応永の宝塔 -大福寺-
青栁大師 -龍蔵寺-
石田玄圭の墓
養蚕神楽 -春日神社-
「生糸のまち前橋」の近代化遺産 -旧安田銀行担保倉庫-
前橋市出身の英霊を祀る -厩橋護国神社-
日本最初の製糸工場 -前橋製糸場跡-
楫取素彦・寿夫妻の発願 -清光寺-
筑波山信仰 -無量寿寺-
前橋市日輪寺町・菅原神社
十一面観音伝説 -日輪寺-
魚遊寺伝説 -乗明院-
伝教大師・最澄の創建 -善光寺-
意外と怖い長壁神 -長壁神社-
静御前のお墓??
酒井重忠の建立 -観民稲荷神社-
市街地の発電所 -柳原発電所-
御真影御里御坊 -妙安寺-
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓 -大蓮寺-
広瀬川 白く流れたり -広瀬川遊歩道-
徳川家康の8男・仙千代を祀る -正幸寺-
酒井忠世の開基 -隆興寺-
松平直矩の開基 -永寿寺-
新田義貞の首塚? -新田塚古墳-
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓 -宝禅寺-
神明宮の外宮? -前橋千代田・稲荷神社-
太田道灌の建立?? -前橋千代田・神明宮-
酒井重忠所縁の寺 -源英寺-
前橋公園の日本庭園
学校院若王子大明神 -御霊神社-
中臣羽鳥連の墓 -釈迦尊寺-
名馬「磨墨」の蹄がご神体 -駒形神社-
大坂戦籠城之図 -前橋文学館 その2-
萩原朔太郎記念・水と緑と誌のまち前橋文学館
前橋厄除け大師 -蓮華院-
総社神社の別当寺 -徳蔵寺-
上野国府跡? -宮鍋神社-
名馬・磨墨の墓 -祝昌寺-
前橋市・金冠塚古墳
前橋市・亀塚山古墳
前橋市・天神山古墳
前橋市・天川二子山古墳
前橋市総社町・遠見山古墳
前橋市総社町・愛宕山古墳
鎌倉坂伝説 -善勝寺-
酒井忠世家臣・本城氏の墓 -長昌寺-
初代前橋市長・下村善太郎の墓 -龍海院 その2-
7世紀末の大型円墳 -荒砥富士山古墳-
白鳳時代の大伽藍寺院跡 -山王廃寺跡-
松平(直基)家の崇敬社 -前橋東照宮-
復活のイエス -前橋聖マッテア教会-
群馬初のカトリック教会 -前橋カトリック教会-
群馬初の公会堂 -群馬会館-
昭和時代の群馬の顔 -群馬県庁昭和庁舎-
江戸時代の年貢貯蔵庫 -上泉郷蔵-
剣聖・上泉信綱の墓 -西林寺-
安産の神様と巨石群 -産泰神社-
石川氏の墓 -最善寺-
前橋・大室公園 その6 -旧関根家住宅-
前橋・大室公園 その5 -前二子古墳-
前橋・大室公園 その4 -中二子古墳-
前橋・大室公園 その3 -後二子古墳-
前橋・大室公園 その2 -小二子古墳-
前橋・大室公園 その1 -M・1号古墳-
赤城神社 その3 -二宮・赤城神社-
前橋・八幡山古墳
単層四脚の総門 -大徳寺-
常盤御前のお墓? -極楽寺-
静御前のお墓? -養行寺-
上野国の総鎮守 -総社神社-
初めて見たオリンピックのメダル -総合スポーツセンター・スポーツ資料館-
萩原朔太郎のお墓 -政淳寺-
岩神の飛石 -岩神稲荷神社-
お虎が淵伝説 -虎姫観音-
のんびり散策 その2 -敷島公園・ばら園-
のんびり散策 -敷島公園-
お艶のその後・・・ -お艶が岩/お艶観音-
淀君のお墓? -元景寺-
上毛野田道の墳墓? -蛇穴山古墳-
秋元氏歴代の墓所 -宝塔山古墳-
秋元氏の菩提寺 -光巌寺-
徳川譜代・酒井家の菩提寺 -龍海院-
明治時代の迎賓館 -臨江閣-
水道タンクと資料館 -前橋市水道資料館-
ネコも入りたがる記念館 -萩原朔太郎記念館-
あたり一面草ぼうぼう -上野国分寺跡-


前橋市朝倉町3丁目の飯玉神社。

朝倉飯玉神社 (1)
朝倉飯玉神社 (2)
朝倉飯玉神社は寛政2年(1790年)の勧請と伝わる。

朝倉飯玉神社 (3)
朝倉飯玉神社 (4)
朝倉飯玉神社 (5)
二の鳥居、灯籠は明治33年(1900年)の建立。

朝倉飯玉神社 (6)
朝倉飯玉神社 (7)
社殿は平成11年(1999年)の建立。それまでは創建時(寛政2年)建立の社殿であった(もちろん修築有りだが)。

朝倉飯玉神社 (8)
朝倉飯玉神社 (9)
境内社・末社(諏訪社・神明宮・八幡宮・菅原社・熊野社・稲荷社など)。

朝倉飯玉神社 (10)
朝倉飯玉神社 (11)
境内の杉の大木(樹高19m)と松(樹高13m)。

朝倉飯玉神社 (12)
日露戦役凱旋記念碑。揮毫は大山巌元帥。西郷隆盛の従兄弟としても有名。現在よく見る西郷隆盛の肖像画(キヨッソーネ画)は、顔の上半分を西郷従道(弟)、下半分を大山巌をモデルにして描いたといわれる。


前橋市朝倉町の示現山永福寺。

永福寺 (1)
永福寺の創建年などは不詳。尊栄の開基、後に玄海の中興とされる。

永福寺 (2)
本堂はコンクリート製で、一般的なお寺の本堂とは違う趣きである。

永福寺 (3)
境内の石造物。左から二十二夜塔(如意輪観音)は天明4年(1784年)、庚申塔は寛政12年(1800年)、念仏供養塔は元禄13年(1700年)の造立。一番右は八臂の馬頭観音かな。

永福寺 (4)
永福寺 (5)
地蔵像(上の写真)は昭和58年(1983年)の造立。もう一体はまだ新しそうだ。六道能化とある。

六道能化とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つのそれぞれの世界で、地蔵尊が苦しむ衆生を救ってくれるという信仰。寺院入口(山門付近など)や墓地入口などに、六地蔵が置かれるのはそういう理由から。


前橋市上佐鳥町の佐鳥山西光寺。

西光寺 (1)
西光寺は弘仁年間(810~24年)法相宗の僧・徳一の開基。法相宗は中国・唐代創始の大乗仏教宗派の一つ。現在では奈良の興福寺、薬師寺がこの宗派。その後、応安3年(1370年)に天台宗に改宗。この時の村雄法印を中興としている。

西光寺 (2)
西光寺 (3)
本堂は天保15年(1845年)火災により焼失、安政5年(1860年)に再建されている。現在の本堂は平成14年(2002年)の建立。本堂には本尊の阿弥陀如来像を祀る。天保の火災時も本尊は被災を免れている。

西光寺 (4)
左から毘沙門天、弁財天、大黒天。

西光寺 (5)
西光寺 (6)
観音像(上)と地蔵像(下)。地蔵像に六道能化と書かれているが、これは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つのそれぞれの世界で、地蔵尊が苦しむ衆生を救ってくれるという信仰。寺院入口(山門付近など)や墓地入口などに地蔵像が6つ置かれるのは、そういう理由から。


西光寺 (7)
伝教大師(最澄)像。平成3年(1991年)の造立。

西光寺 (8)
上川淵小発祥の碑。昭和57年(1982年)の建碑。安政年間(1855~60年)から寺子屋が置かれ、明治7年(1874年)に春日学校(上川淵小の前身)となっている。現在の上川淵小は東隣りの朝倉町にある。


前橋市橳島(ぬでじま)町の飯玉神社。

橳島飯玉神社 (1)
橳島飯玉神社 (2)
橳島飯玉神社の由緒は不詳。境内全体がシイの木の大木群で覆われ、鎮守の森の雰囲気。

橳島飯玉神社 (3)
橳島飯玉神社 (4)
橳島飯玉神社 (5)
社殿は大正元年(1912年)の建立。平成14年(2002年)に改築されている。

橳島飯玉神社 (6)
橳島飯玉神社 (7)
社殿左に御嶽塚。塚頂に御嶽山神社、三笠山神社、八海山神社の石碑。途中にも境内社の大國神社、火雷神社、倭文神社などの石祠や道祖神が置かれている。

中ほどにある「御即位紀念」に大正4年(1915年)とあるように見えたので、御嶽塚の造成や境内社の配置などは同年のことだと思う。

橳島飯玉神社 (8)
弥功霊神、通称「こんどう様」。前橋藩の役人・近藤弥市を祀ったもの。天保の大飢饉(1836年ころから数年)による凶作で、橳島村は大被害を受けた。その対応にあたったのが近藤弥市で、安政元年(1854年)まで村の復興の世話をした。

村人はその遺徳を偲び、文久3年(1863年)に弥功霊神として祀ったもの。昭和31年(1956年)に飯玉神社境内に遷っている。

前橋市六供町の八幡宮。

六供八幡宮 (1)
六供八幡宮 (2)
六供八幡宮は大同3年(808年)に当地の守護神として勧請されたと伝わる。

一の鳥居は平成29年(2017年)の建立。それまでの一の鳥居は平成4年(1992年)の建立だが、平成22年(2010年)には腐食のため撤去されている。木製の鳥居って、意外と寿命が短いのね。

六供八幡宮 (3)
鳥居横には秋葉大神(右)と大黒天(左の祠)。

六供八幡宮 (4)
六供八幡宮 (5)
二の鳥居(石鳥居)は昭和天皇即位記念のようだ。と言うことは昭和初期の建立。

六供八幡宮 (6)
六供八幡宮 (7)
六供八幡宮 (8)
社殿は明治4年(1871年)の建立。昭和初期の改築・修築に続き、昭和40年(1965年)に屋根を銅板葺に改築。

六供八幡宮 (9)
六供八幡宮 (10)
六供八幡宮 (11)
境内社の厳島神社。慶長16年(1611年)の勧請とされる。弁天池もあるが、現在は空池の状態。

六供八幡宮 (12)
六供八幡宮 (13)
境内社の飯玉社、雷電社、神明社、菅原社など。

六供八幡宮 (14)
御嶽山神社、三笠山神社、八海山神社。

六供八幡宮 (15)
庚申塔や二十三夜講塔など。

六供八幡宮 (16)
境内の力石。28貫(約105kg)、55貫(約206kg)など3個ある。大正9年(1920年)の力だめし大会では、六供村(当時は前橋市の大字)の方が55貫を持上げた記録が残っているという。


前橋市小相木町の富士浅間神社。

富士浅間神社 (1)
小相木富士浅間神社の創建は、群馬郡誌(大正14年/1925年)によると景雲3年とされる。ただ、景雲は中国・唐の元号で、日本で同じような元号は神護景雲があるが。ちなみに神護景雲だと3年は769年。

境内入口にあった史跡標柱には、慶長7年(1602年)に御師が活動の拠点として創建したとある。御師とは社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする人(僧など)のことである。

群馬郡誌の記載内容はちょっと怪しいかな。

富士浅間神社 (2)
社殿前の灯籠(手前)は昭和50年(1975年)、奥側は嘉永4年(1851年)の奉納。

富士浅間神社 (3)
富士浅間神社 (4)
社殿は昭和14年(1939年)の建立。社殿前の狛犬も同年の奉納。

小相木富士浅間神社は利根川の氾濫のため、数度の移転を経て昭和14年に現在地に遷座している。そのため社殿などはみな同年の建立である。

富士浅間神社 (5)
富士浅間神社 (6)
境内社・末社。詳細は分からない。

富士浅間神社 (7)
富士浅間神社 (8)
猿田彦神が数多く並ぶ。地区内からの集積と思われる。

中世に猿田彦神は庚申信仰や道祖神と結びついている。今でも路傍に「猿田彦大神」などと刻された石碑(塔)を多く見かけるのは、そういう理由からである。


前橋市箱田町の菅原神社。

箱田菅原神社 (1)
箱田菅原神社 (2)
箱田菅原神社の由緒は不詳。鳥居は平成15年(2003年)の建立。

箱田菅原神社 (3)
箱田菅原神社 (4)
社殿の建立年などは不明。主祭神はもちろん菅原道真だが、脇祭神として天穂日命(あめのほひ)を祀っている。天穂日命は農業、養蚕の神としても信仰されている。

箱田菅原神社 (5)
社殿前の寒紅梅。菅原道真と言えば梅なので、良い組合わせだ。

箱田菅原神社 (6)
境内には椿も植樹されている。

箱田菅原神社 (7)
箱田菅原神社 (8)
境内社や双体道祖神。双体道祖神には享保12年(1727年)(右)、元文5年(1740年)(左)の紀年銘がある。

ところで、写真を見て気付いたのだが(現場では気付かず)、1枚目の鳥居の写真の下側に1対の石造物がある。左右にあり「東大橋」(左)「あずまおおはし」(右)と読める。滝川に架かる東大橋の旧橋の橋名板を移築したものかな?


前橋市箱田町の教行山常円寺。

常円寺 (1)
常円寺の由緒は不詳。

常円寺 (2)
常円寺 (3)
常円寺 (4)
参道の六地蔵と二十二夜講塔(如意輪観音)。二十二夜塔には文政6年(1823年)の銘がある。

常円寺 (5)
百八十八番供養塔。平成9年(1997年)の造立。檀徒及び有志が一致協力し、秩父34霊場、西国33霊場など188霊場を巡拝した記念。

常円寺 (6)
常円寺 (7)
本堂には本尊の十一面観音を祀る。

常円寺 (8)
本堂前の庚申塔、大日如来像、八十八番供養塔。

常円寺 (9)
常円寺には明治7年(1874年)に箱田学校が置かれている。現在の前橋市立東小の前身となる。明治18年(1885年)まで東地区教育の基礎を築いている。


前橋市箱田町の観音堂。

箱田観音堂 (1)
箱田観音堂の由緒は不詳。隣接する墓地や僧侶の墓らしき墓石などから、以前はお寺だったのではないかと思われる。

箱田観音堂 (2)
お堂前には女人講(二十二夜講)の如意輪観音塔。弘化2年(1846年)の造立。

箱田観音堂 (3)
百番供養塔(両側の2基)と六十六部供養塔(中央)。紀年銘はそれぞれ文化2年(1805年)、明和5年(1768年)、文政元年(1818年)。

箱田観音堂 (4)
箱田観音堂 (5)
観音堂というので観音菩薩を祀っているのだと思うが、如何せん真っ暗で中ははっきりせず。写真に写った範囲では手前に神輿、奥に仏像が見られる。

箱田観音堂 (6)
箱田観音堂 (7)
堂前には手作りの三重塔と手書きの観音様(だと思う)。地元の観音堂といった雰囲気を醸し出している。

観音堂には「かつぎ地蔵」が安置されている。箱田町と隣の後家町を中心に行われる「かつぎ地蔵祭り」の主役。今回訪問の主役もかつぎ地蔵(見えなかったが)。

子どもの幸福と健やかな成長を願って、子どもたちが和讃・念仏を唱えながらお地蔵さまが乗った台車を巡行させるもの。このお地蔵さま(かつぎ地蔵)は、正徳5年(1715年)後家村の宮大工・田村八兵衛が造立したとされている。

昭和32年(1957年)を最後に中断していたが、昭和58年(1983年)に復活している。

箱田観音堂 (8)
境内入口脇に高原智作先生の墓がある。お墓と言っても墓碑だと思うが。高原先生は大正末から昭和初期の旧前橋東小(当時は尋常小?)の校長先生。旧東小の教育発展に尽力された方らしい。在任中に亡くなり、その遺徳に報いるため村民が墓碑を建立している。


前橋市川曲町の諏訪神社。

川曲諏訪神社 (1)
川曲諏訪神社の由緒は不詳。明治40年(1907年)に村内の八坂神社や近郷の飯玉神社などを合祀している。

鳥居は平成28年(2016年)の建立。この年に境内整備、社殿修築などを併せて行っている。そのため境内は整然としており、非常にきれいだ。

川曲諏訪神社 (2)
川曲諏訪神社 (3)
社殿は明治43年(1910年)に群馬郡倉賀野町(現在高崎市倉賀野町)の三光寺稲荷神社から購入・移築したもの。三光寺稲荷神社は前年(明治42年)に倉賀野神社に合祀されている。拝殿には天井絵も施されており(見られなかったが)、玉村の絵師・千輝玉斎の作とされる。

川曲諏訪神社 (4)
川曲諏訪神社 (5)
拝殿の漆喰彫刻。唐獅子牡丹かな。

川曲諏訪神社 (6)
木鼻には狐の彫刻が施されており、稲荷神社であったことの名残を示す。

川曲諏訪神社 (7)
社殿裏の境内社(八坂社、稲荷社、飯玉社、琴平社など)。

川曲諏訪神社 (8)
川曲諏訪神社 (9)
鳥居横と社殿裏(2本)の計3本の立派な松の大木が神社を守護している。

ちなみに、倉賀野神社に合祀された三光寺稲荷神社の稲荷神だが、後に地元老人の夢枕に現れて「元の場所に戻りたい」と訴えたという。そのため地元の方々が寄付を募り、昭和11年(1936年)に元の場所に冠稲荷神社として再祀されている。


前橋市稲荷新田町の稲荷山西福寺。

西福寺 (1)
西福寺の創建は不詳。戦国末期ともいわれる。江戸中期に稲荷新田村修験寺・大光院の本尊・不動明王像を譲られ天台宗に改宗(もとは真言宗)。先の大戦後、天台宗修験道御嶽山法流を掲げ、意波羅(いばら)山大権現を祀る。

西福寺 (2)
西福寺 (3)
西福寺 (4)
門前の六地蔵と二十二夜塔(如意輪観音)。

西福寺 (5)
本堂は平成25年(2013年)の改築。本尊の不動明王を祀る。

西福寺 (6)
境内のもみじ。葉が赤く色付いていた。春もみじの出猩々(でしょうじょう)だろうか? 新芽が赤い種類。

御嶽山信仰は修験道の場として独自の山岳信仰として発展、厳しい修行を重ねた道者といわれる人々が集団で登拝することが風習となったもの。

天明4年(1784年)に覚明によって三岳村の黒沢口が開かれ、続いて寛政6年(1794年)には普寛によって王滝口が一般民衆に開放され、これを機に木曽周辺で留まっていた御嶽信仰が全国的な信仰へと広がっている。

意波羅山大権現は御嶽信仰のひとつで、秩父御岳山麓にある意波羅山の神である。ちなみに意波羅山という名の山はない。また、普寛の出身地は秩父である。


前橋市下新田町の八幡宮。

下新田八幡宮 (1)
下新田八幡宮 (2)
下新田八幡宮は宝暦2年(1752年)の創建。鳥居は平成15年(2003年)の建立。

下新田八幡宮 (3)
境内入口には普門品供養塔、庚申塔、大乗妙典供養塔などが並んでいる。大乗妙典供養塔には安永(1772~81年)の銘が読み取れた。普門品は四万巻(普門品を4万回唱える)、大乗妙典は二千部(法華経を2000部読経する)とあったので、それぞれすごいね。

下新田八幡宮 (4)
馬頭観音塔。町内からの集積かな。

下新田八幡宮 (5)
下新田八幡宮 (6)
下新田八幡宮 (7)
社殿の建立年などは分からない。

下新田八幡宮 (8)
下新田八幡宮 (9)
境内社。詳細は分からない。

鳥居は東向きだが、参道を進むと社殿は南向きになっている。昔は鳥居も南向きだったのだろう。時代と共に境内地が様変わり(狭くなるなど)はよくあること。また、鳥居を新しく建立した平成15年に境内を整備しているようだ。非常に綺麗になっている。


前橋市上新田町の末風山福徳寺。

福徳寺 (1)
福徳寺 (2)
福徳寺は文和年間(1352~56年)乗弘大徳が末風郷に草庵を結んだのが始まりとされる。天正元年(1573年)に諸国を遍歴していた覚伝が草庵に逗留し、十一面観音を祀り末風山福徳寺とした。

また覚伝は同年に雷電神社も創建、白馬像を献納している。
(雷電神社は「お沓の言い伝え -前橋市・上新田雷電神社-」参照)

福徳寺 (3)
門前の宝塔。元文元年(1736年)の造立。

福徳寺 (4)
本堂前の臥竜松(クロマツ)。

福徳寺 (5)
福徳寺 (6)
本堂は平成18年(2006年)の建立。

福徳寺 (7)
福徳寺 (8)
梵鐘は正徳4年(1714年)に地元の名工・倉林伝左衛則盈の作。先の大戦時も文化財としての価値が認められ、供出を免れている。

福徳寺 (9)
福徳寺 (10)
薬師如来石像。旧上新田町薬師(現在は朝日が丘町)にあったものを福徳寺に移転している(時期不明)。

福徳寺 (11)
お花地蔵。上新田村の庄屋の家にお花という若い女中がいた。お花の作った庄屋の食事に針が混入しており、厳しく叱られてしまった。お花は心当たりもなく、身に覚えのない口惜しさから村はずれの池に身を投げてしまった。後に庄屋はお花の心を察して、池のほとりに地蔵を建て、村人と一緒にお花の霊を弔った。

女中仲間の嫉妬からの悪巧みだと思うが、こういう逸話は各地に残っている。
(「前橋のお虎さん」「甘楽のお菊さん」「安中の八重さん」)

福徳寺 (12)
本堂前の弘法大師像。平成18年(2006年)の造立。

福徳寺 (13)
随筆家・佐藤垢石の墓。垢石については雷電神社に「佐藤垢石の碑」がある。
(「佐藤垢石の碑」参照)

福徳寺 (14)
歴代住職の墓域の開山・覚伝の墓。

福徳寺には明治15年(1882年)殿田学校が置かれ、上新田村・下新田村・小相木村の子ども達が勉学を学んでいる。殿田学校は明治18年(1885年)に箱田学校と合併。箱田学校は現在の市立東小の前身にあたる。


前橋市上新田町のお地蔵さま。
上新田町の北と南の入口には、それぞれお地蔵さまが鎮座している。

上新田町のお地蔵さん (1)
上新田町のお地蔵さん (2)
南のお地蔵さまは下新田町との境界に近い福徳寺や新田小の近くに鎮座する。かつてのお地蔵さまは昭和10年(1935年)の利根川の洪水により頭部を損傷。修復して崇めてきたが、平成24年(2012年)に新規建立されている。

上新田町のお地蔵さん (3)
北のお地蔵さまは、現在は朝日が丘町となっている前橋長瀞線(旧道)わきに鎮座する。朝日が丘町は昭和38年(1963年)に上新田町の最北部が分離した町。

このお地蔵さまは「京安寺のお地蔵さま」と呼ばれる。上新田町から利根川の対岸(東側)あたる六供町にあった京安寺の西大門のお地蔵さまと伝わる。

京安寺は神亀3年(726年)創建と伝わる古寺だが、戦国時代に兵火にかかり現在では六供町内に地名として残るのみらしい。京安寺に関係する地名(字名)として南大門・北大門・中央門・堂木などもあるようだ。

当時は利根川が変流する前で、上新田と六供は地続きであった。相当長い参道があったことになる(つまりはかなりの大寺院)。

上新田町のお地蔵さん (4)
上新田町のお地蔵さん (5)
上新田雷電神社へ向かう道沿いにもお地蔵さまがいる。詳細は分からない。
(雷電神社は「お沓の言い伝え -前橋市・上新田雷電神社-」参照)

お地蔵さまは古来より道祖神としての性格(村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ)を持つとともに、「子供の守り神」として信仰されている。


前橋市古市町1丁目の古市町公民館敷地内にある和尚塚の多宝塔。

和尚塚の多宝塔、他 (1)
和尚塚の多宝塔、他 (2)
和尚塚は和尚六部を葬った塚(墓)で、多宝塔はその墓碑とされる。和尚六部についてはまったく分からない。多宝塔は14世紀末のものとされ、塔の層は一部石材が異なっている。

塚は大正6年(1917年)の上越線敷設時に削平され、その土は線路や新前橋駅前の道路に使用された。多宝塔は古市町公民館敷地内に移設されている。

和尚塚の多宝塔、他 (3)
和尚塚の多宝塔、他 (4)
和尚塚の多宝塔、他 (5)
多宝塔を囲むように石仏群が置かれている。年代が多宝塔(14世紀末)と違うようなので(もっと新しい)、近郷からの集積のようだ。

和尚塚の多宝塔、他 (6)
公民館敷地内には、他にも石造物が多数置かれている。カラフルな供養塔は明治期のもの。着色は随時行っているのかな。宝塔(写真右端)は寛延3年(1750年)の造立。

和尚塚の多宝塔、他 (7)
和尚塚の多宝塔、他 (8)
薬師堂内には多数の薬師如来石像。3体は大きめ。

和尚塚の多宝塔、他 (9)
公民館の隣の公園に「古市音頭」の碑があった。明るく元気になりそうな歌詞だ。

ちなみに、和尚塚の土が再利用されている新前橋駅は大正10年(1921年)の開業で、今年は100周年にあたる。萩原朔太郎は「荒寥たる田舎の小駅なり」表現していたが、現在は1日の平均乗者数が高崎駅、前橋駅に次ぐ群馬県3位の駅になっている。


前橋市古市町1丁目の赤烏神社。

赤烏神社 (1)
赤烏神社 (2)
赤烏神社の由緒は不詳。口碑によると、国府の南方を護る朱雀(赤烏)神社として、現在の元総社に創建。その後、秋元氏の総社の町つくりに伴う人の移動により現在地(古市)に遷座したといわれる。

赤烏神社 (3)
赤烏神社 (4)
赤烏神社 (5)
社殿は昭和56年(1981年)の修築。

赤烏神社 (6)
拝殿前の狛犬。あまり見かけない姿勢をしている。

赤烏神社 (7)
赤烏神社 (8)
社殿横には境内社の稲荷神社が鎮座する。由緒などは不明だが、立派な石鳥居が建っている。ただちょっと老朽化が心配だ(補修はされているが)。

赤烏神社 (9)
赤烏神社 (10)
稲荷神社の狐像は昭和56年(1981年)の奉納。社殿(拝殿)に見えるが覆屋。本殿は鮮やかな朱色。

赤烏神社 (11)
赤烏神社 (12)
庚申塔が多数置かれている。数えたわけではないが、百体(百庚申)くらいあったかもしれない。まあ後の集積かもしれないが。標柱に「現當(当)安楽」とあるので、現世と来世の安楽を願っての建立だね。


前橋市石倉町1丁目の前橋ステーション跡。

前橋ステーション跡 (1)
前橋ステーション跡 (2)
石倉町1丁目交差点付近に、内藤分ステーション跡の碑が建っている。平成元年(1989年)の建碑。揮毫は福田赳夫元首相。

明治17年(1884年)に上野からの鉄道が前橋まで延伸され、当地に「内藤分ステーション」が設置された。正確には「内藤分停車場」だが、文明開化の当時は駅や停車場を「ステーション」と呼ぶのが一般的だったらしい。内藤分とは当時の地名で、戦国時代に当地を治めていた武田家重臣・内藤昌豊から来ている。「内藤のもの」といった意味。

当時は利根川に鉄橋がなく、内藤分ステーションが初代前橋駅の位置づけとなる。

内藤分ステーションの開業により、前橋から生糸・絹・米などの物資が東京に約4時間20分で届けられるようになった(以前は3日かかった)。特に前橋の生糸はわが国最大の輸出品として、日本の近代化に貢献している。

前橋ステーション跡 (3)
前橋ステーション跡 (4)
前橋ステーション跡 (5)
内藤分ステーションの碑から北に数十m(道の西側)のところに、蒸気機関車(C58)の動輪が展示され、ステーション跡の解説板などが設置されている。これは、このお宅の方が「近代化を進めた前橋の歴史を知ってもらいたい」と、平成27年(2015年)に自費で設置したもの。

明治22年(1889年)に栃木の小山ー前橋間が開通。こちらの前橋駅は現在の前橋駅の場所になる。そして、翌月には利根川に鉄道専用鉄橋が架かり、内藤分ー前橋間が接続されたことにより内藤分ステーションは廃止。5年でその役目を終えている。


前橋市下石倉町の菅原神社。

下石倉菅原神社 (1)
下石倉菅原神社 (2)
下石倉菅原神社の創建は不詳。元は元総社の天神地区にあったものを当地に移したといわれる。また他説では、武田信玄が厩橋城を攻略するために石倉城を再築した際に、守護神として勧請したともいわれる。(「前橋市石倉町・石倉城址の碑」参照)

下石倉菅原神社 (3)
社殿前は松並木(ちょっと少ないが)のようになっている。以前は鳥居から続いていたのではないだろうか。

下石倉菅原神社 (4)
社殿前の灯籠は大正13年(1924年)と同14年(1925年)の奉納。

下石倉菅原神社 (5)
狛犬は昭和3年(1928年)の奉納。

下石倉菅原神社 (6)
下石倉菅原神社 (7)
下石倉菅原神社 (8)
社殿は明治20年(1887年)に火災で焼失したため、翌年に紅雲分村(現、紅雲町)にあった赤城神社の社殿を買い受けたもの。

これは旧制前橋中(現在の前橋高、当時は群馬中央病院のところにあった)拡張のため、前橋藩主・松平大和守が創建した赤城神社が大洞赤城神社(赤城山)に合併されることになったため。

下石倉菅原神社 (9)
下石倉菅原神社 (10)
二十二夜講関係かな。如意輪観音塔には文政7年(1824年)の銘が読み取れた。

境内には梅の木も多く、春先にはほのかな香りと各種合格の吉報を届けることだろう。


前橋市南町2丁目の水神社。

水神社 (1)
水神社の由緒は不詳。江戸時代から当地は宗甫分(そうほぶん)と呼ばれ、利根川の対岸(小相木地区)との間に「実政の渡し」があった。その渡しの安全祈願のため、水の神・罔象女神(みつはのめのかみ)を祀ったものと考えられる。

利根川の氾濫により宗甫分は東に移動を余儀なくされ、かつては今の利根川の中ほどにあったといわれる水神社も現在地あたりに移っている。さらに、昭和53年(1978年)に開通した南部大橋のため、現在地へ若干の移動をしている。

水神社 (2)
社殿は明治21年(1888年)の建立。昭和53年(1978年)に社殿の修復(屋根の銅板葺き化など)を行っている。

社殿前の狛犬は昭和30年(1955年)の奉納。地元の方と北海道の方のお名前が刻まれていた。

水神社 (3)
水神社 (4)
拝殿扁額は「水神宮」になっている。内部扁額は「水神社」。

水神社 (5)
拝殿には天井絵が施されている。

水神社 (6)
水神社 (7)
水神社 (8)
社殿隣には境内社の神長宝神社。厄除招福・五穀豊穣の守護神として経津主神を祀る。

水神社 (9)
水神社 (10)
社殿裏の庚申塔や馬頭観音塔と石仏群。南部大橋開通に伴う区画整理の時に集積されたようだ。

水神社 (11)
神輿庫。水神社の夏祭り時、水難除け・無病息災・五穀豊穣を願って神輿の渡御が行われる。裸の若衆が神輿をかつぎ町内を練り歩く。その際に神輿に向かって水がかけられる。「はだか神輿」と呼ばれる。

この祭典は戦後中断していたが、昭和53年(1978年)の南部大橋の開通を祝し復活している。昨年は新型コロナの影響により中止。今年も無理かなぁ。


前橋市高井町の神明宮。

高井神明宮 (1)
高井神明宮の由緒は不詳だが、本宮(石宮)が寛永19年(1642年)の建立とあることから、その頃の創建と推定される。

鳥居は大正2年(1913年)の建立。

高井神明宮 (2)
狛犬は大正15年(1926年)の奉納。獅子山上に鎮座する。

高井神明宮 (3)
高井神明宮 (4)
高井神明宮 (5)
社殿は元禄5年(1692年)に建立されたが、その後大破(理由不明)したので天明2年(1782年)に改築されている。

高井神明宮 (6)
高井神明宮 (7)
本殿には彫刻が施されているが、保護のためアクリル板(?)で覆われているため、外景が反射してちょっと見づらい。

高井神明宮 (8)
本宮。先に書いたように寛永19年(1642年)の建立。

高井神明宮 (9)
境内末社の八坂社、抜鉾社、絹笠社、阿夫利社、稲荷社。すべてに狐像が置かれており、区別がつかなかった。


前橋市総社町高井の高福山観音寺。

高福山観音寺 (1)
高福山観音寺は元和・寛永年間(1615~45年)に僧・頼順の開山。元禄4年(1691年)には総社領主・安藤信富が自らの祈願所として観音堂を建立している。

総社藩は寛永10年(1633年)に秋元泰朝が甲斐谷村へ移封となり廃藩、高崎藩主・安藤重長に与えられた。重長は総社を信富の知行地とした。信富に関しては資料により重常、重昌、重保などとあり、良く分からない(重長の3男とされる)。

後に信富は総社領内で重税を課し、領民が幕府に直訴する騒動を起こしている。
(「前橋市総社町・熊谷稲荷神社」参照)

本堂は明治24年(1891年)に焼失。以降、観音堂を本堂としてきた。現在の本堂は平成25年(2013年)の新築建立。本尊は釈迦牟尼仏であったが、現在は馬頭観音が本尊になっているようだ。この馬頭観音は三面六臂で秘仏となっている。直接拝すると目が潰れるとの俗説が残っている。

高福山観音寺 (2)
高福山観音寺 (3)
庚申塔や日待塔(如意輪観音)など。日待塔には延宝8年(1680年)の銘がある。


前橋市総社町植野の植野発電所(通称総社発電所)跡。

植野発電所跡 (1)
植野発電所は明治27年(1894年)に前橋電燈が群馬県で最初(全国でも5番目)に営業運転を開始した水力発電所である。天狗岩用水をせき止め50kWの電力を前橋市内に送電していたが、大正3年(1914年)に廃止となっている。

植野発電所跡 (2)
植野発電所跡 (3)
現在は総社町総社と総社町植野の境界を流れる天狗岩用水にかかる立石橋の下に、取水口の一部(レンガ積)が残るのみである。

植野発電所跡 (4)
レンガ積みの取水口には、水神さまが祀られている。

植野発電所跡 (5)
現在も水量豊富な天狗岩用水。天狗岩用水は総社藩主・秋元長朝が慶長9年(1604年)に3年をかけ完成させたもの。取入れ口付近の大岩を取り除く際、天狗が助けてくれたとされることから、その名が付いたという。

後に用水は高崎・玉村まで延長され、長さ25kmで田んぼの灌漑面積は600haに及ぶ。玉村町の上新田や下新田の地名は天狗岩用水の延長により開発された新田にちなんだもの。現在、利根川からの取入れ口(吉岡町漆原)に、群馬県が設置した天狗岩発電所が稼働している。(「用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-」参照)

ところで群馬県で最初の水力発電所は、日本織物が桐生工場の自家発電用として明治23年(1890年)に稼働させたものである。これは植野発電所より4年も前のこと。明治27年(1894年)に桐生電燈が設立され、日本織物水力発電所の電力を桐生町(当時)内へ供給を開始している。これは群馬県で2番目、全国で6番目の営業水力発電となる。


前橋市総社町総社の御霊神社。

総社御霊神社 (1)
総社御霊神社は元は日枝神社で、その由緒は不詳だが光巌寺の鬼門除けとして祀られていた。秋元長朝が光巌寺を創建したのが慶長12年(1607年)なので、日枝神社の創建も同時期と考えられる。

昭和27年(1952年)に英霊210余柱を合祀し御霊神社となった。

総社御霊神社 (2)
社殿は紅葉(もみじ)山と呼ばれる小古墳上に鎮座する。楓の大木が繁っていたことからの名称のようだ。

総社御霊神社 (3)
日枝神社時代の社殿は、明治元年(1868年)に熊谷稲荷神社に移されている。現在の社殿は終戦時まで蛇穴山古墳上にあった奉安殿を移築したものである。

ちなみに奉安殿とは、戦前・戦中に天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語を納めていた建物のこと。

総社御霊神社 (4)
元は奉安殿なので、門扉には菊の御紋があしらわれている。

総社御霊神社 (5)
石段下には外征紀念碑がある。明治39年(1906年)の建碑なので、日露戦争の戦勝記念のようだ。揮毫は大山巌元帥陸軍大将。西郷隆盛の従兄弟にあたる。

関連
 「前橋市総社町・熊谷稲荷神社
 「上毛野田道の墳墓? -蛇穴山古墳-


前橋市総社町総社の勘九郎地蔵。

勘九郎地蔵 (1)
勘九郎地蔵 (2)
江戸時代末、当地には伝授庵という寺があり、そこへ勘九郎という旅の僧侶がやって来て即身仏になるための修行を重ねていた。そして村人が見守る中、立派に即身仏になられたという。この仏を敬い、明治24年(1891年)に町の人たちによって、この地蔵が建立された。現在も交通安全や学業成就などのご利益があるとされる。

ちなみに、即身仏とは生きたまま土中などに入定し(空気穴は通す)、読経や瞑想を続けながらそのままミイラ化すること。主に衆生救済を目的とする。

勘九郎地蔵 (3)
勘九郎地蔵 (4)
お堂内には奉納された地蔵像が多数収められている。多くの願が成就しているようだ。

勘九郎地蔵 (5)
お堂脇の琴平宮石塔。明治25年(1892年)の銘がある。勘九郎地蔵との関連は分からない。


前橋市総社町総社の総社城南出口の子育て地蔵尊。

総社城南出口の子育地蔵 (1)
当地付近は総社城の城下町と旧元総社村との通路として用いられており、ここに木戸を設置し南出口としていた。この付近には五千石用水から分流し小川原堰から南流する用水があり、18世紀初頭に子どもの水難事故が発生したため、その供養として石造地蔵菩薩像が造立されたという。

以後、子どもの守護や子育て地蔵尊として地域に根付いている。

総社城南出口の子育地蔵 (2)
お堂内には小さな地蔵像が多数奉納されている。ご利益があった方がお礼参り時に奉納したものだろう。

総社城南出口の子育地蔵 (3)
総社城南出口の子育地蔵 (4)
総社城南出口の子育地蔵 (5)
地蔵堂の周りには双体道祖神、馬頭観音像、庚申塔などが集積されている。双体道祖神には紀年銘は見られないが「十一月吉日 鍛冶町」とある。鍛冶町は総社町内の旧字名らしい。


前橋市総社町総社の野馬塚神明宮。

野馬塚神明宮 (1)
野馬塚神明宮 (2)
野馬塚神明宮の由緒は不詳。野馬塚村の鎮守として勧請・創建されたと推定される。

野馬塚神明宮 (3)
社殿(というか祠)は昭和40年(1965年)に旧前橋工高敷地内にあった稲荷神社から移築している。

ちなみに、前橋工は平成17年(2005年)に前橋市石関町に移転したが、当時は石神町(現在のスーパー・ベイシアの所)にあった。

野馬塚神明宮 (4)
野馬塚神明宮 (5)
青面金剛像と双体道祖神。双体道祖神は享保6年(1721年)の造立。

野馬塚神明宮は総社城の南木戸のすぐ外に位置する。総社城は秋元長朝が慶長12年(1607年)に築城し、その子・泰朝まで約30年間秋元氏の居城であった。泰朝が寛永10年(1633年)に甲斐谷村に移封され、総社藩は高崎藩所領となっている。

長朝が城下町の整備・建設を行った慶長年間には、多くの住民が移住してきているので、野馬塚神明宮の創建もその時期ではないだろうか。


前橋市総社町2丁目の野馬の不動尊。

野馬の不動尊 (1)
野馬の不動尊 (2)
野馬の不動尊は密教信者により奉安されたものと考えられる。本尊の不動明王は江戸時代(18世紀末)の作と推定されている。

現在の不動堂は平成10年(1998年)の建立。お堂前の灯籠は昭和4年(1929年)の奉納。

野馬の不動尊 (3)
中は真っ暗だったが、何とか撮った写真。多くの仏像類が安置されている。ご本尊はよく分からず。

野馬の不動尊 (4)
境内の千部供養塔(右)と摩多利神(左)。千部供養塔は延享元年(1744年)、摩多利神は安政5年(1858年)の銘が読み取れた。

千部供養塔(経典読誦塔)はお経を一千回など一定回数読誦したことを記念する供養塔。また摩多利神は江戸後期には「疫病退散」のご利益があるとされていた。

お経を読誦する理由は様々だろうが摩多利神と併せて考えると、利根川の氾濫などの自然災害とそ後に蔓延する疫病除けを祈願してのものではないだろうか。


前橋市総社町総社の旧山賀酒造レンガ蔵。

旧山賀酒造レンガ蔵 (2)
旧山賀酒造レンガ蔵 (1)
旧山賀酒造のレンガ蔵は昭和2年(1927年)の建築。当時の北海道庁の庁舎を模したといわれる。約600平方mの2階建て瓦葺きで、レンガは英国積み。施行は前橋市石倉町の増田煉瓦(株)。

山賀酒造は明治初めから昭和45年(1970年)まで酒造りをしていた。最盛期は大正末(1920年ころ)で、年間約1,000石(1升瓶で10万本分)ほどの酒を造っていた。銘柄は「二子山」と「山瀬川」。

旧山賀酒造レンガ蔵 (3)
山賀酒造のマーク(商標)も煉瓦なのかな? 屋根瓦に「山」が入っている。

旧山賀酒造レンガ蔵 (4)
井戸の外周壁も煉瓦造り。

内部を改装してレストラン(2店舗)として営業していたが、現在は移転したようで空き倉庫になっているみたいだ。


前橋市総社町総社の八坂神社。

総社八坂神社 (1)
総社八坂神社の創建は不詳だが、元総社の巣烏分から遷宮している。当初は用水路上に遷座していた。同様に巣烏分から遷座している巣烏神社が慶長9年(1604年)なので、総社八坂神社の遷座も同年頃と考えられる。(「前橋市総社町・巣烏神社」参照)

総社八坂神社 (2)
昭和8年(1933年)の大渡橋新架橋・道路拡幅により用水路は南側に移ったため、八坂神社は現在地に移転している。お社はまだ新しそうだ。

総社八坂神社 (3)
庚申塔(左3つ)と湯殿講碑(一番右)。

総社八坂神社 (4)
女人講(地蔵菩薩)碑。如意輪観音が彫刻されているものは多いが、地蔵菩薩はあまり見ない気がする。

総社八坂神社 (5)
総社八坂神社 (6)
馬頭観音と石神・石仏群。

総社八坂神社は巣烏神社から北に50mくらいのところに鎮座している。巣烏神社の案内板「境内には八坂社・疱瘡神・菅原社などが合祀されており(中略)社地には湯殿講碑、月待塔、庚申塔など庶民信仰の石神・石仏が安置されている」と内容が合致するので(疱瘡神・菅原社は見あたらないが)、ここは巣烏神社の境外地かもしれない。

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