藤岡市保美の保美西浦遺跡。

保美西浦遺跡 (1)
保美西浦遺跡は神流川の河岸段丘上に広がる集落遺跡であり、当地の土地改良事業に伴い令和4年(2022年)から発掘調査を実施していた。保美西浦遺跡からは縄文時代と古墳時代後期から中世までの遺構・遺物が確認されている。

保美西浦遺跡 (2)
今回紹介するのは保美西浦遺跡の「F地点」と名付けられた住居跡の遺構。当日は藤岡市文化財保護課による現地説明会だった。

保美西浦遺跡 (3)
遺跡内の219号住居。縦7.8m✕横8.8mの規模を誇る竪穴式住居で、藤岡市内で確認されている住居跡の中でも最大級である。8世紀前半の住居跡と推定されている。

保美西浦遺跡 (4)
保美西浦遺跡 (5)
大規模住宅だけあって柱穴は直径・深さとも1mを超え、柱を据えた後に何層にも固めながら土を埋め戻して固定したことが分かる。

保美西浦遺跡 (6)
219号住居内から発掘された土器類。1,000年以上土中に埋まっていると、意外ときれいな色を保っているものだ。

保美西浦遺跡 (7)
同じく219号住居内から発掘されたカマドの一部であったと推定される加工石。219号住居はその規模やカマドに加工石を用いていることなどからも、住人の身分の高さが窺い知れる。

保美西浦遺跡 (8)
遺跡内の222号住居。河原石を組上げて作られたカマドがあったことが分かっている。10世紀後半の住居跡とされる。河原石は結晶片岩で、遺跡の東を流れる神流川から採集されたものと思われる。

保美西浦遺跡 (9)
保美西浦遺跡 (10)
カマド跡の周りには土器類が散乱しており、当時の住人が住居を不意に放棄した様子を示していると考えられる。

保美西浦遺跡 (11)
住居跡遺跡は見学できなかったが、発掘遺物のみ展示されていた205号住居。上段の左から2番目の黒ずんでいる土器は、漆が塗られていた跡との説明があった。

保美西浦遺跡は先述したように土地改良事業に伴う遺跡調査のため、発掘調査終了後(調査記録取得後)は農地となり消滅することになる。残念だが致し方ない。