藤岡市緑埜の千部供養塔。


千部供養塔は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の模様と、その被害状況(各地の降灰量や凶作による諸物価の高騰など)を刻んだ供養塔である。安山岩製で高さ80cm・幅31cm・厚さ21cm。大噴火の9年後の寛政4年(1792年)に旗本・松平忠左衛門の代官・斉藤八十衛門雅朝の建立。

左右面・裏面に降灰や被害状況、米麦・大豆などの物価高騰状況が刻まれている。当時の世情を伝える貴重な資料である。
記載されている降灰状況は前橋で7~8寸(約21~24cm)、高崎・藤岡で一尺(約30cm)、松井田では3尺(約90cm)とある。米は金一両三斗二升、麦は金一両四斗五升(これがどれくらい高いのかピンとこないが)などと記されている。
天明3年7月8日の浅間山大噴火は「浅間焼け」と呼ばれ、浅間山史上最大級の噴火・爆発とされる。鎌原村(現嬬恋村)では高台の観音堂に逃げ延びた僅かな人々を残して、集落は壊滅するほどの被害となった。
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「嬬恋村鎌原・鎌原観音堂」
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