藤岡市高山の高山社情報館にある高山社2代目社長・町田菊次郎の銅像。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」(富岡製糸場・田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴)が世界遺産に登録されて、昨年(2024年)で10年が経過した。それを記念して構成資産のひとつである「高山社跡」の学習施設・高山社情報館前に、高山社2代目社長・町田菊次郎の銅像が造立された(昨年11月)。
向かって左は高山社創始者・高山長五郎(1820~86年)の銅像。養蚕法「清温育」を確立し、養蚕技術の向上・普及に大きく貢献した。長五郎の銅像は平成26年(2014年)の造立で、平成28年(2016年)に藤岡市役所から当地(高山社情報館)に移されている。

右が町田菊次郎の銅像。市民有志からなる実行委員会が寄付を募って造立したもの。
町田菊次郎は緑埜郡本郷村(現藤岡市本郷)の出身で、高山長五郎の「清温育」の講義を聴き興味を持ち、明治8年(1875年)に入門。明治19年(1886年)に高山長五郎の遺志を継いで高山社2代目社長に就任。
明治34年(1901年)には私立甲種高山社蚕業学校を設立(初代校長)。全国から生徒を受け入れることで養蚕の担い手育成に務めるとともに、清温育の普及に尽力した。大正6年(1917年)66歳で死去している。
日本の養蚕農家は令和5年(2023年)現在、全国でわずか146戸だそうだ。このうち群馬県内は55戸(令和6年農水省資料)。最盛期の昭和4年(1929年)には221万戸も存在していたという。繭の生産量も農水省資料で45トン(最盛期は40万トン)。
2人の視線の先に見える景色は、どう映っているのだろうか?
関連
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