太田市新田反町町の瑠璃山照明寺。

照明寺の由緒は不詳だが、永禄年間(1558~70年)に由良成繁が市野井村字杉の「杉立山照明寺」を反町館(反町城)の西側に移し、時の住職・慈光が山号を「瑠璃山」と改めたという。そのため照明寺では開山を慈光、開基を由良成繁としている。
正徳4年(1714年)に火災で焼失。享保元年(1716年)に現在の反町城本丸跡に移転・再興されている。このときの住職・祐泉を中興開山としている。
(「太田市新田反町町・反町館跡」参照)
ご本尊の薬師如来石像(反町薬師)は奈良時代の高僧・行基の御作とも伝えられ、そのため照明寺(当時は薬師堂)の開山を行基とする説もある。厄除・開運・子育にご利益があるとして、広く信仰を集めている。


「新田義貞公古城跡」(標柱)と「左中将新田公城趾之碑」。新田義貞の居城であったことを示す標柱や碑が複数建っている。


本堂は明治11年(1878年)の建立。ご本尊は秘仏となっており、毎年1月4日の大縁日のみご開帳される。

本堂前の小坊主さんの銅像。参拝者が頭を撫でていくようで、頭頂部の下地が露出している(笑)。


鐘は自動鐘撞き装置付き。梵鐘には「反町薬師尊」と刻まれている。


大師堂。弘法大師(空海)を祀っている。

弘法大師像。平成3年(1991年)の造立。

鐘が置かれている。殿鐘のような位置づけかな。サイズ的には梵鐘と呼んだ方がいいかもしれないけど。

参籠堂(こもりどう)。お札の受付・授与やお守りの販売などを行う施設。実際に「お籠もり」をするわけではないようだ。

参籠堂の裏に庚申関係の石塔が並んでいる(青面金剛塔・庚申塔)。紀年銘が確認できたものは寛永3年(1626年)、元禄8年(1695年)、享保9年(1724年)、寛政8年(1796年)、寛政12年(1800年)。

本堂左奥、境内の北西隅の赤城神社跡。中興の祐泉が享保年間(1716~36年)に市野井村から勧請したとされる赤城神社があったが、明治42年(1909年)生品神社に合祀されている。
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