太田市新田反町町の反町館跡。


反町館の築造年代は明らかではないが、鎌倉時代から南北朝時代と考えられている。その後、室町時代に金山城の支城となり、戦国時代には三重の堀を巡らす城郭に拡張されたと推定される。
新田義貞がここに移り住み、後には大舘氏明、新田義興、矢内時英が住んだという説もある。天正18年(1590年)豊臣秀吉の北条攻めで廃城となっている。
東側の堀(1枚目の写真)は道路改修の際に拡張されたもので、2倍以上の幅に広げられている。館跡の平面形は凸字形で、南側120m・北側73m。東西南側に「折」を持っている。

土塁も残されており、基底部で10~13m、高さ4~6mある。


「新田義貞公古城跡」(標柱)と「左中将新田公城趾之碑」。新田義貞の居城であったことを示す標柱や碑が複数建っている。


現在、館跡は瑠璃山照明寺の境内となっている。照明寺に関しては別記事で紹介する。

照明寺本堂裏には「不鳴の池」がある。義貞が軍議を開いた時に、池で鳴いているカエルを一喝したら鳴きやんだといわれる。


東の堀に面して藤棚が作られている(藤の木は3本)。樹齢などは不明だが、幹周りは3本すべて2m以上あるように見える。
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