太田市新田大根町の妙満山大慶寺。

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大慶寺2 (2)
大慶寺は治承4年(1180年)新田義重の娘であり源義平の室である祥寿姫(出家後は妙満尼)が、義平の菩提を弔うため一庵を結んだのが始まりとされる。義平は源義朝の長男で、源頼朝や義経の兄に当たる。

その後、鎌倉時代には新田一族の綿打為氏が館を構えている。為氏は新田義貞の挙兵に従って転戦し、南朝方として奮戦している。明徳5年(1394年)に綿打了安入道という者が、足利・鶏足寺から空覚上人を招いて大慶寺としたという。

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山門横には「綿打入道太郎為氏館跡」の標柱がある。山門横と書いたが、実際は自動販売機とトイレに挟まれた微妙な場所。標柱横には庚申塔が集積されている。自動販売機とトイレは後から設置されたのだろうが・・・。

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大門。閉まっており、ここからは入れない。

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本堂は大正15年(1926年)に火災でを焼失。現在の本堂は昭和2年(1927年)の建立。

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弘法大師像を中心に、光明真言供養塔や弘法大師1100年遠忌記念などの記念碑が並んでいる。弘法大師像は平成4年(1992年)の造立。

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鐘楼も本堂と同じ昭和2年の建立。ただ、屋根などを見るともっと新しいようにも見える。

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不動堂には「御影不動」と呼ばれる本尊・不動明王像が安置されている。「新田三不動」のひとつに数えられている。

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「御影不動」は妙満尼が彫った新田義重の肖像が、一夜のうちに不動明王に変化したといわれる。鎌倉時代に入ると新田氏の守り本尊とされた。新田義貞討死時には、その死を悼み涙を流したといわれる。そのため別名「泣き不動」ともいわれる。

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不動堂横の水かけ不動。平成4年(1992年)の造立。

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歴代住職の墓域にある五輪塔は、6基に紀年銘が確認されている。年代は室町期から戦国期まで。最も古いのは中興開山・空覚上人の逆修塔で明徳5年(1394年)。

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墓地入口の宝篋印塔と六地蔵石幢。宝篋印塔は明和4年(1767年)、六地蔵石幢は寛政7年(1795年)の造立。

祥寿姫(妙満尼)には伝説が残されている。永暦元年(1160年)に義平が平清盛によって処刑されると、六条河原に晒されていた義平の首を秘かに上野国へ持ち帰ったといわれる。その首を埋葬した場所に一庵を結んだのが太田市世良田町の清泉寺とされる。清泉寺には義平の墓と伝わる石塔がある。(「太田市世良田町・義平山清泉寺」参照)