太田市新田上中町の稲荷神社。



上中稲荷神社は寛文10年(1670年)の笠懸野開発により小集落(当時は上田中新田)が形成された際、稲荷社の祠を改築し集落の惣鎮守としたのが始まりと伝わる。上中村となるのは元禄11年(1698年)ころ。
現存する「正一位稲荷大明神安鎮之事」と題する明和4年(1767年)の文書から、集落が形成された寛文10年に社格を得たと考えられる。
大正4年(1915年)に稲荷神社(字新割)、赤城神社(及び末社琴平社・秋葉社・稲荷社)(溜池字村中)を合祀している。

鳥居前(向かって左側)には庚申塔が集積されている。大黒天や二十二夜塔も混ざっているが。

鳥居前右側には御嶽信仰関係の碑が2基ある。


天明8年(1788年)建立(棟札が残されている)の社殿は、昭和57年(1982年)に火災で焼失。現在の社殿は昭和58年(1983年)に再建されている。

社殿前の狐像は昭和58年の社殿再建時の奉納。

神楽殿。昭和12年(1937年)の建立。現在も神楽が奉納されているのだろうか。


社殿横の御嶽神社。由緒などは不明。

御嶽神社裏の御嶽山座王大権現・八海山堤頭羅神・三笠山刀利天宮の碑。明治24年(1891年)の造立。

境内末社の八坂神社(左)。
上中稲荷神社の伝承には、源義経に関するものも残されている。義経が上野国に逃れた際(奥州への道中?)、当社を深く崇拝したという。義経が奥州へ逃れたのは文治3年(1187年)なので、江戸中期に開拓された地区としては年代的にかなり開きがある。
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