太田市新田木崎町の旧紫雲山常楽寺跡。


常楽寺は明治25年(1892年)に蓮蔵寺・円通寺と合併併し、蓮蔵寺を新常楽寺としている。合併以前の3寺はいずれも無住だったため古記録などは残っておらず、由緒は不詳となっている。(現在の常楽寺は「太田市上田島町・紫雲山常楽寺」参照)
旧常楽寺跡には不動堂が残されている。不動堂は近年の新築建立と思われる。


堂内には明治期の作とされる木造不動明王像が安置されている。

お堂の裏にはお地蔵さんを中心に庚申・月待ち講関係の石塔(庚申塔・二十二夜塔・如意輪観音像など)が並んでいる。庚申塔には安永10年(1790年)、如意輪観音には宝暦9年(1759年)の銘がある。

南側の墓地には中世の石造物群が残されている。

3基の宝篋印塔には、向かって左から暦応4年(1341年)、康永3年(1344年)、貞和2年(1346年)の銘がある。

3基の五輪塔の内、左端のものには延文4年(1359年)の銘がある。他の2基は無銘だが、同時代の造立と考えられる。
宝篋印塔・五輪塔とも紀年銘は南北朝期の北朝の年号であり、当時新田荘が足利氏の勢力圏となっていたことを示している。また、これらの石造物から常楽寺の開創を鎌倉後期から南北朝期に求める説もある。

後列に並べられている宝篋印塔・五輪塔には江戸時代の銘がある。延宝6年(1678年)、享保4年(1719年)など。
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