太田市新田木崎町の法隆山長福寺。

長福寺は元禄5年(1692年)に小此木豊忠が、父親(小此木源右衛門繁高)の菩提を弔うため建立した観音堂が始まりとされる。寺格を取得する際は、隣接する下田島村の小字名に「ちょうふくじ」という古寺名が残っており、これを再興する名目で幕府の寺院許可を受けたという。
開山は潮音道海(住職は2世の寿峰元福和尚)。潮音道海は南牧村・黒瀧山不動寺を開いたことでも知られる黄檗宗の高僧。長福寺は旧新田町で唯一の黄檗宗の寺院である。

曇華地蔵とあった。

参道の松。幹が地を這うように伸びている。


開創当時は本堂の他に観音堂・鐘楼・表門・裏門などを有し興隆したが、文化9年(1812年)の木崎宿大火で全焼。明治9年(1876年)にも再び火災で本尊以外のすべてを焼失している。現在の本堂は昭和62年(1987年)の建立。

境内の宝塔(左)と二十二夜塔(中央)。二十二夜塔には文化4年(1807年)の銘が読み取れた。右の碑は読めなかったので不明。

馬頭観音塔(左)と石宮(中央)。右は不明(これも読めない)。
小此木源右衛門繁高は武士であったが、後に木崎宿の名主を務めるなどしている。隠居・出家後は道参と称した。隠元隆琦(日本黄檗宗の祖)が来日した折には、はるばる江戸まで出向き法話会に参加したといわれる。
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