太田市新田木崎町の東光山医王寺跡。

医王寺跡 (1)
医王寺は康平4年(1061年)源意法印の開山と伝わる。伝承では前九年の役時、恵心僧都(源信)の高弟・源意法印が伝教大師(最澄)御作の薬師如来と十二神将を携え当地に遣わされ、敵方調伏のため草創したという。

昭和27年(1952年)来迎寺に合併(併合)され、廃寺となっている。
(来迎寺は「太田市新田中江田町・安養山来迎寺」参照)

医王寺跡 (2)
医王寺跡 (3)
現在も本堂が残されている。応永年間(1394~1426年)ころ兵火に罹り、伽藍のみならず本尊をも焼失したという。再興は文明年間(1469~87年)以降とされる。現在の本堂は大正15年(1926年)の建立。

本尊である暾(あさひ)薬師は来迎寺に移されたが、銅製勢至菩薩立像・木造如来形坐像・木造不動明王立像・木造日光/月光菩薩立像・十二神将・閻魔大王像などは、まだ安置されている。

医王寺跡 (4)
医王寺跡 (5)
灯籠は天保14年(1843年)と元文5年(1740年)の奉納。

医王寺跡 (6)
地蔵像。

医王寺跡 (7)
歴代住職の墓石も残されている。

医王寺跡 (8)
イチョウの大木(2本)。いずれも樹高は約20mで目通りは3.6mと2.9m。樹齢は200~300年と推定される。

医王寺の薬師仏は「上町の薬師さま」と呼ばれ、木崎宿が盛んなころは眼病で苦しむ人々からの信仰が厚かった。