太田市新田木崎町の貴先神社。

貴先神社の由緒は不詳。文政8年(1825年)の記録には文和3年(1354年)に「御宮造」とあり、そのころの創建ともいわれる。明治21年(1888年)に八坂社・宇賀社・若宇賀社・諏訪社、大正12年(1923年)に稲荷社・二柱社を合祀している。
鳥居前の大きな灯籠は昭和12年(1937年)の奉納。


一の鳥居は明治12年(18797年)の建立。


二の鳥居は明治44年(1911年)の建立。


社殿は明治3年(1870年)に火災で焼失、同7年(1874年)に再建されている。


拝殿向拝の彫刻と虹梁木鼻の龍の彫刻。


境内社の八坂神社。


もう1社覆屋内にあったが、詳細不明。
貴先神社の名称は「后」から来ているという説がある。貴先神社のご祭神は大穴牟遅神(大国主命)だが、その妻である須勢理比売命を祀るとの資料もある。「后(きさき)」を祀っているので「きさき」神社と呼ばれたという。後に、この「きさき」に「貴先」や「木崎(町名)」の文字が当てられたとする見方もある。
貴先神社の別当職は長命寺が務めていたが、同寺には「貴先明神」と呼ばれている「女神像」が現存しており、「后」説の裏付け資料とも言える。
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