太田市新田木崎町の貴先神社。

貴先神社 (1)
貴先神社の由緒は不詳。文政8年(1825年)の記録には文和3年(1354年)に「御宮造」とあり、そのころの創建ともいわれる。明治21年(1888年)に八坂社・宇賀社・若宇賀社・諏訪社、大正12年(1923年)に稲荷社・二柱社を合祀している。

鳥居前の大きな灯籠は昭和12年(1937年)の奉納。

貴先神社 (2)
貴先神社 (3)
一の鳥居は明治12年(18797年)の建立。

貴先神社 (4)
貴先神社 (5)
二の鳥居は明治44年(1911年)の建立。

貴先神社 (6)
貴先神社 (7)
社殿は明治3年(1870年)に火災で焼失、同7年(1874年)に再建されている。

貴先神社 (8)
貴先神社 (9)
拝殿向拝の彫刻と虹梁木鼻の龍の彫刻。

貴先神社 (10)
貴先神社 (11)
境内社の八坂神社。

貴先神社 (12)
貴先神社 (13)
もう1社覆屋内にあったが、詳細不明。

貴先神社の名称は「后」から来ているという説がある。貴先神社のご祭神は大穴牟遅神(大国主命)だが、その妻である須勢理比売命を祀るとの資料もある。「后(きさき)」を祀っているので「きさき」神社と呼ばれたという。後に、この「きさき」に「貴先」や「木崎(町名)」の文字が当てられたとする見方もある。

貴先神社の別当職は長命寺が務めていたが、同寺には「貴先明神」と呼ばれている「女神像」が現存しており、「后」説の裏付け資料とも言える。