太田市新田木崎町の宝広山大通寺。


大通寺は天文2年(1533年)に横瀬泰繁の室(大通寺殿蘭室玄芳大姉)が、金龍寺8世・大拙周芸大和尚を開山に招き創建したという。安政6年(1859年)に江戸幕府に提出した文書に記載されている旧梵鐘(先の大戦時供出され現存していない)の鐘銘では、天文2年に横瀬泰繁が室の菩提を弔うために大拙周芸を開山に招いて創建したとある。
開基が横瀬泰繁かその室かの違いはあるが、横瀬氏ゆかりの寺であることは確かなようだ。
(横瀬泰繁に関しては「太田市新田上江田町・江田山龍得寺」参照)



山門は仁王門であり、鐘楼門でもある。梵鐘に関しては、上述のように旧梵鐘は先の大戦時に供出されており、現在の梵鐘は戦後の鋳造。

門前の地蔵像。享保17年(1732年)の造立。


本堂は平成24年(2012年)の建立。

境内の馬頭観音塔、二十三夜塔、青面金剛塔(左から)。馬頭観音は明治44年(1911年)、二十三夜塔は天保年間(1830~44年)、青面金剛塔は元禄7年(1694年)の造立。


境内の金比羅大権現。由緒などは不明。

本堂前の「新田義貞 冠掛の松」。「冠着の松」とも。新田義貞が元弘3年(1333年)に生品神社で挙兵し、鎌倉へ向う途中この松に冠をかけて休憩したと伝えられている。当時の松は枯れてしまい、現在の松は江戸時代末に赤堀の旧家から奉納されたもの。
大通寺の開創は天文2年(1533年)なので、寺が出来る前から松はあったことになる。

大ケヤキ。樹高15m、目通り6.4mで、樹齢は約500年と推定される。大通寺創建当時の植栽と考えられている。


大通寺隣には幼稚園があり、境内には遊具が設置されている。また境内はグランドも兼ねているようで、いろんなラインが引かれている。

墓地にある「木崎宿 飯盛り女供養塔」。平成15年(2003年)の建立。旧新田町観光協会や町民の皆さんから、多くの協力があったとのこと。
日光例幣使街道・木崎宿の旅籠屋には、越後などから年季奉公に来た「飯盛り女」と呼ばれた若い女性が多く働いていた。彼女らは心の拠り所として「色地蔵」に願を掛けたりした。また彼女らが唄った広大寺節が木崎節(音頭)や八木節の元唄となっている。
関連
「太田市新田木崎町・木崎宿の色地蔵」
「飯盛り女の墓・一行山九品寺」
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