太田市世良田町の新田義貞首墳。

新田義貞首墳 (1)
新田義貞首墳 (2)
畑の中に小古墳のようなものがあり、新田義貞の首墳との伝承がある。京の都に晒されていた義貞の首を、妹婿の世良田満義が秘かに持ち帰り葬ったという。

当地には「小角田前古墳群」と称する大古墳群が存在していたという。明治19年(1886年)には開墾により古墳の形状をした小丘がある程度になっていた。小丘は「新田義貞首墳」との伝承があったので残されていたようだ。

昭和7年・8年(1932・33年)の発掘調査で、小丘(1号墳後円部)から「義貞公」と刻まれた骨壺の破片・人骨、「新田」と刻まれた板碑や土器の破片などが出土したという。これらの遺物は長楽寺の「岩松氏供養塔」後方に供養・葬られたとされる。

昭和8年(1933年)に世良田村で新田義貞公奉賛会が組織され、慰霊祭を行うとともに梅の木を植樹するなど鄭重に保存してきた。しかし80年以上が過ぎその存在は忘れ去られ、小丘も削平され畑の一部となってしまった。

そのため新田氏研究会・小角田地区有志が、令和元年(2019年)から復元の努力をしてきた。

新田義貞首墳 (3)
墳丘上の新田義貞供養塔。令和5年(2023年)の建立。裏面には新田義貞とともに世良田満義の名と没年(正平24年:13690年)も記されている。満義も小角田前古墳群1号墳に葬られたとの伝承がある。

新田義貞首墳 (4)
五輪塔の空輪・風輪部。これは首墳の復元作業中に新たに出土したもの。他にも板碑片や埴輪・土器片なども出土したという。この五輪塔(残部)は江戸時代に義貞と満義を供養したものと考えられている。

義貞の首を持ち帰ったとの伝承は他にも残されている。妻の勾当内侍、桃井次郎(葬ったのは船田長門守善昌)、僧・覚明など。勾当内侍のお墓も存在する。いろいろな意味で、義貞の人気が分かるというもの。

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