太田市世良田町の義平山清泉寺。

清泉寺2 (1)
清泉寺2 (2)
清泉寺の創建は不詳だが、平安末期に源義平の妻(祥寿姫)がここに庵を結んだのが始まりとされる。源義平は源義朝の長男で、頼朝や義経の兄に当たる。祥寿姫は新田義重の娘である。その後、江戸時代の寛保年中(1741~44年)に高健教岳により中興されている。

清泉寺入口には「義平山清泉寺 悪源太義平の墓」との看板が立っている(清泉寺には源義平の墓と伝わる石塔がある)。

清泉寺2 (3)
清泉寺2 (4)
山門前のは地蔵像と二十二夜塔(如意輪観音)がある。二十二夜等は文化元年(1804年)の造立。

清泉寺2 (5)
本堂屋根はトタン張りでそれなりに老朽化しているが、雨戸などを見ると改修もされているようだ。

清泉寺2 (6)
源義平の墓。石塔表面には「悪源太義平公御廟」「永暦元庚辰年正月廿五日」とある。永暦元年(1160年)1月25日は没日とされる(諸説あり)。

義平はその勇猛さから「悪源太」と称された。父・義朝と参戦した平治の乱(1159年)で平清盛らに敗れ、義朝は尾張国(愛知県)で殺害されている。義平は京の都に戻って清盛の命を狙ったが捕らえられ、永暦元年(1160年)六条河原において処刑されている。

六条河原に晒されていた義平の首を、祥寿姫が秘かに上野国へ持ち帰り埋葬した場所が当地とされる。

清泉寺2 (7)
義平の墓の横には光明真言/普門品供養塔がある。享保14年(1729年)の造立。その左は無縫塔なのか五輪塔や宝篋印塔の残骸(空輪や宝珠)なのかは分からない。

清泉寺2 (8)
宝篋印塔は徳川吉宗の次男・田安宗武が、娘夫婦の幸福を願って宝暦5年(1755年)に建立したもの。梵字のみで銘文がなくその由来はまったく不明であったが、昭和55年(1980年)に塔身の中から経筒に入った経文が発見され、建立の経緯が判明している。