太田市新田下江田町の江田山最勝寺。

最勝寺 (1)
最勝寺は天文年間(1532~55年)に慶尊が創建したとされるが、火災により古記録類を焼失したため詳細は不詳。また、長慶天皇の乳母が天皇の崩御を聞いて、西勝庵という草庵を結んだのが最勝寺の前身との伝承もある。

ちなみに、長慶天皇の崩御年は応永元年(1394年)。旧新田町内には「長慶天皇ゆかりの寺」長慶寺がある。

最勝寺 (2)
最勝寺 (3)
境内前の庚申塔類(青面金剛塔・二十二夜塔・如意輪観音塔)と馬頭観音塔。左端の如意輪観音塔は元禄15年(1702年)、二十二夜塔には宝暦6年(1756年)の銘があった。

最勝寺 (4)
本堂の詳細は不明。

最勝寺 (5)
最勝寺 (6)
最勝寺 (7)
本堂隣のお堂。相当荒れており、中には厨子らしきものがポツンとあるのみ。最勝寺は明治41年(1908年)に万日堂を合併しているので、それかな。万日堂の本尊である嘉永元年(1848年)造立の阿弥陀如来立像は、本堂に安置されている。

最勝寺には二ツ塚古墳(木崎町5号古墳)からの出土品の一部が保管されている。

関連
 「太田市新田上田中町・田中山長慶寺」(長慶天皇)
 「太田市新田下江田町・矢抜神社」(二ツ塚古墳)