太田市新田中江田町の安養山来迎寺。
来迎寺の創建年などは不詳だが、新田一族の世良田氏の開基、僧・俊叡の開山と伝わる。明治元年(1868年)に火災で焼失。輪光寺を合併し、現在地(もとの輪光寺)へ移転している。その後、明治45年(1912年)に阿弥陀寺・観音寺、昭和27年(1952年)に医王寺を合併している。
山門は平成29年(2017年)の建立。
門前の石仏(地蔵像・文殊菩薩像・不動明王像など)、庚申関係(庚申塔・二十二夜塔・青面金金剛塔)や馬頭観音塔など。確認できた中では、文殊菩薩像は元禄8年(1695年)、不動明王像は文政10年(1827年)、二十二夜塔は安政4年(1857年)の銘があった。
現在来迎寺に残る石仏などの石造物は、輪光寺(現在地)にあったもの以外に、合併した阿弥陀寺・観音寺・医王寺から移したものも多い。
本堂は昭和48年(1973年)の建立。令和4年(2022年)屋根銅板葺替・部分修理を実施している。
明治元年の火災の際、本尊(阿弥陀如来)の頭部のみ住職が火中より持ち出し難を逃れている。この仏頭は来迎寺創建当時からのものとされ、太田市の重文に指定されている。仏頭は高さ41cmでヒノキ材による寄木造り。顔面には金泥を塗り、螺髪は群青彩で仕上げている。その様式や技法から、鎌倉時代後半から末期の制作と推定されている。
来迎寺の仏頭を基に制作された阿弥陀如来坐像。平成元年(1989年)に当地の左官職人の方が制作・寄進したもの。
僧侶らしき像。来迎寺は天台宗なので最澄?
聖観音像。平成23年(2011年)の造立。
本堂前のイトヒバ。樹高約12m、目通り約2.2m。樹齢は200~300年と推定され、来迎寺が移転する前の輪光寺時代から境内にあったもの。
来迎寺の旧地には墓地のみが残されている。そこには応安3年(1370年)の銘がある宝篋印塔が建っている(太田市の重文)。それ以外にも、紀年銘の確認できる板碑が複数個残されている。年代は正中(1324~26年)から文和5年(1356年)で、鎌倉末期から南北朝初期となる。(「太田市新田中江田町・旧来迎寺の宝篋印塔」参照)
仏頭もその様式などから13世紀後半(鎌倉末期)の制作と推定されており、墓地の石造物と併せ、来迎寺の創建を鎌倉末期とする説もある。
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