太田市新田上江田町の勝神社。

勝神社 (1)
勝神社の由緒は不詳。明治40年(1907年)に愛宕社・諏訪社・琴平社・稲荷社を合祀。大正4年(1915年)には八坂社を合祀している。

勝神社 (2)
扁額に昭和56年(1981年)と書かれているので、鳥居は同年の建立と思われる。

勝神社 (3)
勝神社 (4)
勝神社 (5)
社殿の建立年など、詳細は不明。社殿前の狛犬は平成10年(1998年)の奉納。

勝神社 (6)
境内社の八坂神社(右)と稲荷神社(左)。稲荷神社には「柊稲荷神社」とある。

勝神社 (7)
中央の石塔は大山祇神。石宮の詳細は不明。

最初に勝神社の由緒は不詳と書いたが、享和2年(1802年)に書かれた「由来記」(千吉良家所有)と称する文書が伝わっており、創建にまつわる逸話が書かれている。なお「由来記」は、現在は失われている(行方不明)。

それによると、新田義重が宇佐八幡宮を伊予国(愛媛県)勝山から勧請したといわれ、勝山から勧請したので勝大明神としたという。なぜ宇佐八幡宮(豊後国:大分県)を伊予国から勧請したかと言うと、伊予国の武将・河野四郎通信が宇佐八幡宮を勝山という所に勧請し熱心に拝礼を重ねた結果、河野一族が大いに繁栄したからといわれる。

河野通信は源頼朝の挙兵に呼応し、治承5年(1181年)に伊予国で旗挙げ。平維盛の目代(現地に私的に派遣した代官のこと)を追放するなど、源氏方として戦っている。(壇ノ浦にも参戦)。戦後は鎌倉幕府の御家人となり、伊予国内の御家人を統括する権限などを認められている。