太田市新田高尾町の久呂住神社。
久呂住神社の由緒は不詳。久呂住神社は「黒住教」系の神社である。黒住教は備前国(岡山県)にある今村宮の神官・黒住宗忠が文化11年(1814年)に開いた教派神道。明治9年(1876年)に明治政府より「神道黒住派」として独立教派として公認されている。
社殿前には庚申塔が並ぶ(向かって右端だけ猿田彦神)。
久呂住神社のご祭神は中筒男之命(住吉三神の一神)。黒住教は天照大神を最高神(八百万神の本体)とし、他の神は天照大神が枝葉のように分化した存在としている。そのため久呂住神社のご祭神も天照大神かと思っていた。
元は住吉神社で、江戸末から明治にかけてに黒住教が広まってきた際に、その系列になり久呂住神社となったのかな(勝手な推論です)。
社殿内には弘化3年(1846年)の墨書銘がある幣束立てか旗立ての台と思われるものが残されている。このころの創建か?
社殿が鎮座しているのは久呂住神社古墳(木崎町3号古墳)上になる。円墳とされているが、削平されており詳細は不明。明治30年(1897年)に発掘調査され、刀や骨片が出土したという。
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