太田市新田下田中町の水澤山円福寺。
円福寺は新田義貞討死後、その家臣・田中氏が当地に小庵を設け義貞の菩提を弔ったのが始まりとされる。その後、天文年間(1532~55年)に丹波国の芦田宗義が田中村に移り住み、その子・海翁が円福と号し円福寺とした。
元和年間(1615~24年)には田中村の住民・長谷川孫左衛門の5男が順永と改名し、仏道修行の後に堂宇を修復している。円福寺では海翁(円福)を開山、順永を中興開山としている。
門前の大般若経供養・地蔵像、庚申塔・二十二夜塔など。
六地蔵。平成14年(2002年)の造立。
本堂は平成18年(2006年)の新築建立。本堂の新築を機に境内を整備し、各種の造形物を建立・造立したようだ。
仁王像、十三重石塔、十一面観音石像(ぼけ封じ観音とあった)は本堂新築と同年の造立。
「日清日露 両役死馬供養塔」。明治40年(1902年)の造立。この辺りで軍馬を産出していたとも聞かない。純粋な供養塔ということか。
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