利根郡昭和村糸井の井宝山長慶寺。
長慶寺は度々の火災により古記録類が失われておりその由緒は不詳だが、文禄年間(1592~96年)沼田舒林寺9世・独翁祐存和尚の開山と伝わる。
4世・傑千英叟和尚が宝永4年(1707年)に残した記録によると、村の長者が母親の供養のため阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂を建て、尼寺としたのが始まりという(年代不明)。永正年間(1504~21年)に学問・武芸のいずれにも優れていた長慶春悦という僧がおり、その名にちなんで井宝山長慶寺と言うようになったとされる。
参道の庚申関係(庚申塔や二十一夜供養塔など)と禁葷酒山門碑。庚申塔は元禄8年(1695年)、二十一夜待供養塔は嘉永2年(1849年)、禁葷酒山門碑は安永4年(1775年)の造立。
本堂は地区の集会場のような建物。
板碑は正応2年(1289年)の建碑。緑泥片岩製で高さ150cm、幅43cmと大型の板碑である。以前は永仁2年(1294年)銘の板碑もあったようだが、現在は失われている。
この板碑を「長者が母親の供養のために建てた」と考え、長慶寺の前身である阿弥陀堂建立の時期を正応・永仁年間(1288~94年)とする説もあるようだ。
六面地蔵。令和2年(2020年)草むしりを手伝ってくれた子どもたちが、土中から発見したもの。六地蔵宝幢の一部に見える。恐らく宝珠や幢身なども埋まっていると思われる。
翌令和3年(2021年)には、多くの石仏が同様に発見された。現在は本堂裏に六面地蔵を含め、綺麗に安置されている。
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