利根郡昭和村貝野瀬の赤城山川龍寺。
川龍寺は天正18年(1590年)沼田・成孝院の意岩建春和尚が自身の隠居寺として泉龍庵を建てたのが始まり。その後、寛永18年(1641年)成孝院5世・不岸建鎖和尚が開山となり赤城山泉龍寺とした。元禄11年(1698年)火災により焼失。再建に際し現在地に移り、泉を川に変え川龍寺としている。
参道脇に石仏・仏塔類、庚申塔類が数多く並んでいる。
「禁売買芸術の碑」。安永9年(1780年)の造立。境内で歌舞伎や音曲などの見世物や物売りを行ってはいけないという禁止の触書(みたいなもの)。「禁葷酒山門の碑」(酒の持ち込みや酔っ払いの入門禁止)は各地に多く見られるが、禁芸碑は少ないらしい。
長屋門は嘉永元年(1848年)の建立。昭和48年(1973年)に屋根の改修を行っている。現在は物置となっており、貝野瀬武尊神社の舞殿の舞台装置が保管されている。
(「昭和村貝野瀬・武尊神社」参照)
本堂は当地移転後の文化14年(1817年)に再度火災により焼失。現在の本堂は文政3年(1820年)の再建。昭和48年に屋根の改修を行っている。嘉永6年(1853年)に増築した庫裏(旧庫裏)が本堂と一体化しており曲がり屋形状となっている。
川龍寺には開山や開基と並び、岡上次郎兵衛景能が功労者として位牌が祀られている。景能は承応3年(1654年)当地の検地代官として寺地の年貢を免除するなど、寺の財政の基礎をつくってくれたからという。
景能は「笠掛野御用水」の開削(現みどり市周辺の新田開発)や「榛名山北麓」の原野の開発(現東吾妻町周辺)を行ったことでも知られる。同じく昭和村川額の雲昌寺も、同様の理由で景能の位牌を祀っている。(「昭和村川額・赤城山雲昌寺」参照)
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