太田市金山町の大田山義貞院金龍寺。
金龍寺は応永24年(1417年)横瀬貞氏が新田義貞の追善供養のため創建したとされる。寺号は義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」から。後に横瀬氏(由良氏)は下剋上により岩松氏を退け、実質的な金山城主となっている。そのため金龍寺も横瀬氏の菩提寺として興隆している。
天正18年(1590年)由良氏は常陸国牛久へ転封となり、金龍寺も牛久へ移転している(現在も茨城県龍ケ崎市にある)。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615年)に当地を領した榊原氏によって再興されている。
木々に覆われた石段を昇っていく。石段は昭和13年(1938年)に整備・改修されている。
六地蔵は昭和52年(1977年)の造立。向かいには地蔵像や庚申塔・月待ち講塔などが並ぶ。
本堂前の七福神。金龍寺は「上州太田七福神」の毘沙門天を祀る。
本堂の屋根には三つ葉葵紋と由良氏の五三桐紋が掲げられている。五三桐紋は岩松氏も使っているのと、両氏とも新田氏を示す大中黒紋も使っており紛らわしい。
本堂内部。ご本尊の釈迦如来。
本堂の欄間彫刻。題材は知識がなく分からない。
本堂裏にある新田義貞供養塔。供養塔は寛永14年(1637年)の義貞300回忌法要に際し造立されたもの。石英斑岩製の基礎部の上に安山岩製の多層塔を重ねたもの。総高は246cm。
義貞供養塔の前(と言うか下)には、横瀬国繁から由良成繁に至る歴代の金山城主とその一族の墓がある。由良氏五輪塔は9基あり、安山岩製で紀年銘・法名などが刻まれている。
横瀬氏(由良氏)は新田義貞の3男・義宗の子である貞氏(金龍寺開基)が横瀬氏へ入婿したとし、新田氏の一族であると自称するようになった。最終的には明治政府により、新田氏嫡流は岩松氏とされている。ちなみに、岩松氏は氏祖の時兼の父系が足利氏、母系が新田氏という家系。
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