甘楽郡甘楽町金井の姥子堂。

姥子堂 (1)
姥子堂の由緒は不詳。寛延3年(1750年)の宝勝寺文書にその名が出てくることから、その当時には創建されていたことになる。
(宝勝寺は「甘楽町金井・歓喜山宝勝寺」参照)

姥子堂 (2)
姥子堂 (3)
堂内には奪衣婆を祀る。造立年などは分からない。着色されているからかもしれないが、比較的新しく見える。

奪衣婆は三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のこと。剥ぎ取った衣類は懸衣翁という老爺の鬼によって川の畔に立つ衣領樹という大樹に掛けられ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。

この奪衣婆像には伝説が残っている。行基が当地を訪れた際、宝勝寺前の川を三途の川と名付け、そこに自作の老婆の像を残して去った。村人はこれを祟めお堂を建てて安置した。ただ、行基作の像は火災でお堂とともに焼失してしまったので再刻したとされる。

姥子堂 (4)
姥子堂に脇(西側)を流れる三途川。先の伝説からすると行基の命名になる。

姥子堂 (5)
三途川に掛かる橋は三途橋。

姥子堂は宝勝寺の境外仏堂となっている。「寺院(宝勝寺)」「奪衣婆」「三途の川」から、当時の仏教由来の末法思想や冥界思想などがうかがい知れる。

ただ、元は閻魔大王が祀られていたのではとも考えてしまう。奪衣婆になったのは江戸時代末の民間信仰において、奪衣婆が疫病除けや咳止め(特に子どもの百日咳)にご利益があるとされたからではないかな。