渋川市赤城町見立の見立の五輪塔。


見立の五輪塔。立派な五輪塔が2基並んでいる。伝承では見立城主・見立権太郎清平の墓と伝わる(もう1基は奥方か?)。
清平に関しては記録がほとんど残されてなく、関東管領・上杉憲顕の配下として「見立城に見立権太郎居れり」、また他では「見立城主見立権太郎清平は奥州見立権太郎家定の末孫である」と記載されている程度である。
上杉憲顕が上野国で戦をしていたのは観応2年(1351年)のことなので、古記録を信じるなら南北朝初期のころの人物のようだ。
清平がなぜ奥州から当地に来て城主になり得たのかは不明だが、この墓を古くから上屋を作り守ってきたのは奥州出身の一族(藤原秀衡の末裔といわれる)のようなので、旧見立村には少なからず奥州藤原氏の縁者が移り住んで来ていると考えられる。
ちなみに、見立城とは戦国時代に不動山城と呼ばれ、見立と樽・宮田の境界の山中にあった城のこと。城趾は渋川市(旧赤城村)の重文に指定されている。渋川市の解説では、築城は永禄年間(1558~70年)としている。
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