渋川市北橘町真壁の蚕養(こがい)神社。
蚕養神社は昭和31年(1956年)日立市の蚕養神社から分霊を勧請し、真壁厳島神社の社殿内に祀られた。その後、昭和35年(1960年)に真壁赤城神社境内に社殿を建立し遷座している。
養蚕が盛んであった当地の養蚕農家では、繭がたくさん採れることを願って講を作り、日立市の蚕養神社へ詣でていた。一方、つくば市の蚕影神社に詣でていた講もあり、両者が合流し橘豊蚕講(約800戸)となった。そこで日立市の蚕養神社から分霊を勧請しお祀りしたもの。
当地の養蚕農家が詣でていた蚕養神社・蚕影神社は、蚕霊神社(神栖市)と合わせ「常陸の三蚕神社」と呼ばれる。日立市(旧多賀郡豊浦町)には養蚕の起源とされる「金色姫」の伝説が残されている。
天竺・霖異大王の娘・金色姫が種々の理由により常陸国豊浦港に流れつき、姫は死後蚕になり繭を作ったとされる。そこで養蚕神として蚕霊山千手院星福寺に蚕の開祖として祀ったとされる(すっごい要約)。
他にも、孝霊天皇(第7代とされる)5年に稚産霊命が姿を現し、養蚕に関する神託を告げたので、里人は稚産霊命を日本最初蚕養の祖神として祀ったとの伝説もある(蚕養神社の始まりとされる)。
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