渋川市北橘町真壁の長盛山桂昌寺。

桂昌寺 (1)
桂昌寺は元は水泉寺という律宗の寺院であったとされる(創建年などは不詳)。天正10年(1582年)に真壁城主・神谷三河守政律が半田村(現、渋川市半田)の龍伝寺2世・日山祐益を招き中興開山とし現在地に移転、曹洞宗に改宗している。

神谷三河守政律についてはよく分からないが、白井城主・長尾氏に仕えていたようだ。桂昌寺は神谷氏の居館であったともいわれる。

桂昌寺 (2)
石門は明治38年(1905年)に檀家の方が建造。

桂昌寺 (3)
桂昌寺 (4)
本堂は安政元年(1855年)、明治18年(1885年)に火災に見舞われている。特に安政の火災時は、本尊及び過去帳までも焼失している。本堂は明治35年(1902年)に再建されている。現在の本堂は近年の新築建立のようだ。

安政元年の火災時に住職であった13世・眠山宗龍は、燃えさかる本堂の中に端坐したまま寺と運命をともにしようとしたが檀徒に助け出されている。

桂昌寺 (5)
地蔵像などの石仏や仏塔類。

桂昌寺 (6)
聖徳太子塔。文化・文政年間(1804~31年)の造立。

桂昌寺 (7)
桂昌寺 (8)
梵鐘は享保12年(1727年)の鋳造であったが、先の大戦時に供出。昭和49年(1974年)に再鋳造している。

桂昌寺 (9)
除災観音。元は宮城県気仙沼市に鎮座していたが、東日本大震災時にたまたまかの地を離れており、難を逃れたことから除災観音と名付けたという。どういう経緯かは知らないが、桂昌寺に遷されている。