渋川市赤城町勝保沢の諏訪神社。

勝保沢諏訪神社 (1)
勝保沢諏訪神社 (2)
勝保沢諏訪神社の由緒は不詳。明治41年(1908年)に旧勝保沢村(当時は横野村)の神明神社、愛宕神社、菅原神社、八幡宮などを合祀している。

鳥居は石本勝左衛門勝辰が寛政8年(1796年)に寄進・建立したもの。扁額は東江源鱗の書。吉岡町・華蔵寺出の角田無幻は東江源麟の門弟のひとりである。石本勝左衛門勝辰は宗玄寺の十一面観音堂を寄進した人物。
(勝左衛門や宗玄寺は「渋川市赤城町勝保沢・快中山宗玄寺」参照)

勝保沢諏訪神社 (3)
鳥居には今も石本勝左衛門勝辰の文字がしっかり読める。

勝保沢諏訪神社 (4)
勝保沢諏訪神社 (5)
二の鳥居は平成7年(1995年)の建立。鳥居前の灯籠は宝暦7年(1757年)の奉納。

勝保沢諏訪神社 (6)
社殿前の灯籠は明治24年(1891年)の奉納。

勝保沢諏訪神社 (8)
勝保沢諏訪神社 (9)
勝保沢諏訪神社 (10)
社殿の建立年などの詳細はは分からない。

勝保沢諏訪神社 (11)
勝保沢諏訪神社 (12)
勝保沢諏訪神社 (13)
境内社・末社群。地神、雷電神社、蚕影神社、抜鉾神社、赤城神社、厳島神社など。

勝保沢諏訪神社 (14)
勝保沢諏訪神社 (15)
勝保沢諏訪神社には太々神楽が伝承されている。大正4年(1915年)の神楽講創設と同時に神楽殿も建立されている。舞は神式舞と愛嬌舞の二座十九舞があり、現在まで存続している。

古くに勝保沢村に流行した狂歌というか地口(言葉遊び的なシャレ)がある。「勝保沢に過ぎたるものが三つあり 諏訪の鳥居におりの観音」。

諏訪の鳥居は、この諏訪神社の鳥居。観音は宗玄寺の十一面観音堂(当時は字下りにあった)。いずれも石本勝左衛門勝辰が寄進している。もうひとつの「おりの」とは、十一面観音堂造営の頭領・星野幸右衛門の孫娘のこと。「おりの(お理野)」は絶世の美人で「勝保沢小町」と呼ばれ、近郷にその名が知られていたという。