富岡市一ノ宮の駒寄井戸。

駒寄井戸 (1)
駒寄井戸は弘法大師が馬に乗って当地にさしかかった際、疲れた馬が前足で勢いよく地面を搔いたところ、不思議にも水がこんこんと湧き出したといわれる。そのため駒寄井戸というようになった。この水は一年中涸れたことがないという。

駒寄井戸 (2)
また、名馬・磨墨が故郷(磨墨は大桁山の産といわれる)に帰ってきた時に、喉の乾きを癒やしたのが駒寄井戸といわれる。そのため別名・磨墨の井戸ともいう。

磨墨は永寿3年(1184年)の源範頼・義経軍と木曽義仲軍との「宇治川の合戦」で先陣争いを演じた梶原景季が乗っていた名馬。磨墨が倒れ死んだ場所には磨墨神社があったが、現在は伏見神社となっている。伏見神社には弘化3年(1846年)に奉納された磨墨を描いた大絵馬が残されている。

駒寄井戸 (3)
現在は蓋がされている(はっきりしないが、おそらく井戸跡だと思う)。

駒寄井戸 (4)
何かが彫られている石塔があったが、よく分からなかった。

駒寄井戸 (5)
駒寄井戸は通称「お女郎坂」と呼ばれる急坂を登ったところにある。富岡市社会教育館のすぐ下あたりになる。名前の由来は、江戸初期に徳川家光の号令により貫前神社の大改修が行われた際、諸国より造営にかかわるあらゆる職人が集められ、この時に娼屋が置かれたのがこの坂の両側だったからとされる。

磨墨関連
 「富岡市妙義町下高田・伏見神社
 「名馬・磨墨の墓・鷲峯山祝昌寺