富岡市宮崎の宮崎山龍光寺阿弥陀堂。
龍光寺は長禄年間(1457~60年)奥平貞俊が宮崎村に創建。慶長15年(1610年)富岡町の創設とともに宮崎村から移っている。その時の寂誉道楽和尚を中興開山としている。寂誉道楽の姉は家康の生母・伝通院という。
(龍光寺は「富岡市富岡・宮崎山龍光寺」参照)
龍光寺が富岡町(現、富岡市富岡)に移った後は、境外仏堂(阿弥陀堂)となっている。
年代は不明だが、火災により阿弥陀堂は焼失。現在の立派なお堂は再建。
お堂屋根中央に3枚の瓦が積まれている。これはわざと未完成の部分を残すことで、これからも完成に向けて発展し続けるという願いを表しているという。
お堂の葵紋。富岡町へ移った時の中興開山・寂誉道楽が家康の縁者だからかな。
本尊・阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の両脇侍。
境内のしだれ桜。「とみおか名木十選」(富岡市観光協会選)に認定されている。
明治12年(1879年)「上野国北甘楽郡 寺院明細帳」、昭和3年(1928年)「北甘楽郡史」のいずれも当所を「弥陀堂」と記載しているので、それを踏まえた内容(龍光寺の境外仏堂)としている。
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