富岡市田島の岩崎山施無畏寺。
施無畏寺は白鳳元年(650年)役の小角が当地に霊光を感じ、草庵を建立し観音像を安置したのが始まりという。役の小角は山岳呪術者とされる修験道の祖。実在の人物ともされるが、その生涯は各種伝説が入り交じっている。また、白鳳という年号は私年号のひとつ(日本書紀には出てこない)。一般的には白雉(650~54年)の別称(美称)とされる。
元亀元年(1570年)に光明院住職・奝豪が諸堂を修理している。このときに天台宗に改宗、奝豪を中興開山としている。明治40年(1907年)に高崎・威徳寺を合併し、仏本・什器などを移している。旧威徳寺は内陣のみ高崎市成田町の成田山光徳寺に残されている。(「高崎市成田町・成田山光徳寺」参照)
山門は昭和24年(1949年)の建立。平成13年(2001年)の改修時に仁王像を造立している。
山門の天井絵。花鳥風月から魚まで。
山門前の伝教大師(最澄)像。平成22年(2010年)の造立。
本堂は文化2年(1805年)の建立。昭和23年(1948年)、平成15年(2003年)屋根を改修している。
境内の極楽浄土池。平成21年(2009年)の造立。阿弥陀如来を中心に勢至観音と観音菩薩。周りには9つの蓮台があしらわれている
鐘楼堂は平成26年(2014年)の建立。
六地蔵。平成26年(2014年)の奉納。
観音堂には役の小角が開眼した聖観音像を祀る(岩崎観音)。観音像は一寸八分(約5.5cm)の小像。過去に暴風雨のためお堂が倒壊し、観音像がいずこへか埋もれてしまったことがあるという(無地発見されている)。
観音堂後ろ側に小窓があり、そこに産体観音が置かれていた。
コメント