富岡市宮崎の華鶏山桃林寺。

桃林寺 (1)
桃林寺は天正19年(1591年)松平右京太夫家治の開基、開山は下丹生村・永隣寺住職の春慶和尚である。松平家治は奥平信昌の次男で、徳川家康の養子となったため松平姓を与えられている。

家治の母(信昌の正室)は徳川家康の長女・亀姫であり、その血筋から養子に求められたと考えられている。家治は天正8年(1579年)生まれで、8歳の時に養子になったが天正20年(1592年)に13歳で亡くなっている。

天正19年に家治は12歳のため、実質的には桃林寺は父である信昌の開基と考えられる。信昌が宮崎に3万石を得たのは天正18年なので。

桃林寺 (2)
桃林寺 (3)
門前の石仏・石塔と六地蔵。

桃林寺 (4)
桃林寺は再三火災に遭っており、古記録などは焼失している。本堂前の燈籠は平成15年(2003年)の奉納。

桃林寺 (5)
本堂前の宝篋印塔。開基・松平家治の墓と伝えられている。寛政2年(1790年)に小幡藩主・松平忠福が建立したとされる。没年と年代的にズレがあるが、墓碑を新たに建立したのか供養塔として建立したのかは不明。

松平忠福は奥平松平家(家治の末弟・忠明が、家治の死後に家康の養子となり松平を名乗っている)の忠尚系と呼ばれる家系。

家治の墓に関しては、昭和3年(1928年)刊の「北甘楽郡史」には「遺骸はなしと伝わる」とあるが、寛政年間(1789~1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である「重修家譜」には「家治を桃林寺に葬る」とある。真偽はいかに?