富岡市富岡の大虎山栖雲寺。
栖雲寺は寛永4年(1627年)長翁全孫和尚の開山。山門の扁額は「古叢林」(こそうりん)。歴史の古い(長い)大きな禅宗の寺院といった意味。
門前の「御虎石」。虎御前が建てたという供養塔。享徳元年(1452年)に古崖聖来という者が当地から発掘したとされる。栖雲寺の創建以前よりあることになる。この御虎石が山号の大虎山の由来となっている。それにしても大きい。
虎御前とは鎌倉時代初期の遊女。富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちで知られる曾我祐成の妾とされる。「吾妻鏡」にも登場することから、実在の女性と考えられている。日本各地に虎御前の伝承と結び付けられた石が存在する(大磯町、足柄峠、大分市など)。
*資料によっては「虎御石」と表記されているものもあり。
門前の六地蔵。昭和38年(1963年)の造立。
本堂の建立年は分からないが、昭和28年(1953年)に瓦葺きに改修している。
梵鐘は天明2年(1782年)の鋳造だが先の大戦中に供出。現在の梵鐘は再鋳造。半鐘は寛延2年(1749年)鋳造で、供出を免れ消防団詰め所の警報用として使用されていた(現在も使用されているかは不明)。
境内の薬師堂。薬師如来像の由緒は明らかではないが、栖雲寺開創以前から当地に祀られていたとされる。お堂は平成11年(1999年)の再建。
薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩の三尊。ちょっとイメージが違うほどの金ピカ。弘安4年(1281年)作との説もあるようだが。別物かな。
観音菩薩像の地下が合祀墓(霊廟)になっている。檀家の方が平成19年(2007年)の造営している。
江戸期に当地を領していた旗本・筧源左衛門保寿の墓。栖雲寺に多くの寄進をしており、中興開基とされている。筧氏や源左衛門保寿のことはよく分からないが、保寿は寛政元年(1789年)に没しているようだ。
保寿の母親の墓。保寿が安永2年(1773年)に建立したとの銘がある。
栖雲寺には筧氏が奉納したという金銅製の聖観音像(約15cm)が寺宝となっている。唐の代宗皇帝が光明皇后に贈ったものだという。こんなすごい物を、なぜ江戸時代の旗本が持っていた? 事実なら国宝級だね。
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