安中市松井田町下増田の磯貝雲峰の碑。

詩人・磯貝雲峰は慶応元年(1865年)旧九十九村下増田(現、安中市松井田町下増田)に生まれる。本名は内田由太郎。後に母方の実家(磯貝家)の養子となる。幼少より勉学を志し同志社大に学び、在学中に文学に目覚める。筆名の雲峰は妙義山の白雲山からつけたといわれる。
「女学雑誌」「国民之友」などに詩歌、訳詩、小説、評論を発表。明治28年(1895年)に渡米。帰国後も中央文壇で活躍したが、明治30年(1897年)32歳で死去。代表作は「知盛卿」。

昭和15年(1940年)にラジオ番組で雲峰の業績が取上げられ、これを聴いた甥で海軍大佐の内田一太郎が徳富蘇峰(徳冨蘆花の兄)に撰文を依頼し生家近くに建碑したもの。昭和16年(1941年)のこと。
碑は表側に雲峰の業績など、裏側には詩文が記されている。また、この碑石は松井田城の銘石「亀石」と呼ばれたものといわれる。

碑の脇に立っている案内板。碑は安中市(旧松井田町)の重要文化財になっているので、その解説が書かれているのかと思ったら、「碑を大切にしましょう」的なことが書かれた注意書きだった(苦笑)。
まあ、確かに「文化財は大切にしましょう」だけどね。
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「詩人 磯貝雲峰の墓・慶光山自性寺」
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