富岡市妙義町諸戸の霜林山随應寺。

随應寺 (1)
随應寺は慶安2年(1649年)の創建とされる。ただ、それ以前から五香庵と称する草庵があり、それが随應寺になったという。

随應寺 (2)
門前の如意輪観音(二十二夜塔)は弘化5年(1849年)の造立。

随應寺 (3)
山門は明和2年(1765年)年の建立。山門楼上(2階)には不動明王像が祀られている。この不動明王像は当地に住み着いていた一山和尚という行者が、常に背負っていたものという。

この一山和尚は結果的に村から追い出されるような形で出て行くのだが、その際に名主を怨み、呪詛の言葉を残して出て行ったという。その後、名主の家は断絶したといわれる。

随應寺 (4)
山門の石垣は妙義神社の石垣を積んだ余りの石を持ってきて使ったという。けっこう精巧に積まれている。

随應寺 (5)
門前の地蔵像。お地蔵さん自体は新しいが、台座には文化3年(1806年)とあった。

随應寺 (6)
随應寺 (7)
本堂と白壁がきれいな土蔵。いずれも詳細は不明。

随應寺 (8)
随應寺 (9)
境内の観音堂。由緒などは分からない。

随應寺 (10)
墓地入り口のショウヅカノジイサン(右)とバアサンと呼ばれる石像がある。風邪をひいた時に、真綿の帽子を被せると頭痛が治るという。

これは明らかに閻魔大王と奪衣婆である。「ショウヅカノバアサン」は「正塚婆」で、奪衣婆の別名。閻魔大王のことを「ショウヅカノジイサン」とは呼ばないが、奪衣婆とのセットでそう呼ばれるようになったと考えられる。

奪衣婆に関する民間信仰(疫病除けや咳止め、特に子どもの百日咳にご利益がある)が元になっていると考えられる(真綿の帽子を被せるなど)。

随應寺 (11)
本堂裏から裏山にある墓地へ上がるところに「サルに食べ物を与えないでください」との旧妙義町時代の看板があった。確かに野生のサルがいてもおかしくない感じの山あいだけど。