安中市松井田町人見の大宮神社。

人見大宮神社 (1)
人見大宮神社の由緒は不詳。口碑では白鳳2年の創建と伝わる。ちなみに、白鳳は日本書紀には記載のない私年号の一つである(寺社の縁起や歴史書等に散見される)。一般的には白鳳元年は650年、661年、672年などを指すので、白鳳2年はそれぞれに1年を足した年となる。

昭和63年(1988年)に現在地に遷座している。旧社地は信越化学工業・松井田工場になっている(と言うか工場を造るための移転)。

人見大宮神社 (2)
人見大宮神社 (3)
人見大宮神社 (4)
社殿は遷座時の昭和63年の建立。

人見大宮神社 (5)
境内社・末社群。神明宮、雨降神社、菅原神社、大山祗神社、猿田彦神社、疱瘡神社など。

人見大宮神社 (6)
普寛行者の石塔(左は摩利支天)。普寛は木曽御嶽山、越後八海山、上州三笠山などを開山したことで知られる行者。

ところで、人見大宮神社のご祭神に源為朝がいる。源為朝は源為義の8男。剛弓の使い手で剛勇無双を謳われたが、保元の乱(1156年)で兄・義朝や平清盛らに敗れ、伊豆大島に配流されている。

明治43年(1910年)に村内の神社を合祀しているが、その中に為朝と関係ありそうな名称は見られない。為朝と上野国との関わりは不明だが、安中市東上秋間の十二山神社は為朝の陣屋跡との伝承がある神水の地に鎮座していたとされる。
(十二山神社は「安中市東上秋間・十二山神社」参照)