安中市松井田町新堀の天竈朝陽(てんそうちょうよう)と古賀錦山(こがぎんざん)の碑。

天竈朝陽・古賀錦山の碑 (1)
天竈朝陽の碑(左)と古賀錦山の碑(右)は、元は別の場所にそれぞれあったが、国道18号松井田バイパスの建設の際に現在地へ移されている。

天竈朝陽・古賀錦山の碑 (2)
天竈朝陽は本名を松本安二郎といい、安永4年(1775年)旧八城村の生まれ。京都の吉益南涯から医術を学び、帰郷後は住民のため献身的に活動した。天保6年(1835年)に61歳で死去。碑は天保9年(1838年)に弟子たちにより建立されている。

天竈朝陽・古賀錦山の碑 (3)
古賀錦山は久留米(福岡)の生まれ。若くして江戸で医術を学び、帰省途中に松井田宿で病人を診察した縁で、住民に求められこの地に住むこととなった。慶応2年(1866年)に死去。「天竈朝陽のそばに葬ってほしい」との遺言を残している。碑は慶応3年(1867年)に建立された。

それにしても、何で国道18号の松井田バイパス沿いに移したのだろう。車の交通量は多いし、みんなスピード出しているし。この碑の前に車を停めるわけにもいかないので、下に置いて歩いてバイパスに上って行った。