前橋市元総社町の宮鍋神社。

宮鍋神社 (1)
宮鍋神社 (2)
崇神天皇の第一皇子・豊城入彦命が東国統治の命を奉じ、この地方に下向下降した際、宮之辺の地に経津主命を祭祀して武運長久を祈ったのが、総社神社の始まりと伝えらる。

宮鍋神社 (3)
なぜ総社神社の縁起を書いたかというと、宮鍋神社は総社神社の旧地とされている。それを記した碑も建っている。総社神社は永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570~73年)に移転・再建されたという。

宮鍋神社 (4)
宮鍋神社には社殿はなく、小さな祠があるだけ。

宮鍋神社 (5)
宮鍋神社 (6)
周りは住宅地になっており境内も非常に狭いのだが、巨木がその歴史を物語っている。

宮鍋神社 (7)
上野国府は元総社町付近にあったと考えられており、この宮鍋神社は国庁候補地のひとつである。上野国府は方八町(872m四方)とか方六町(654m四方)と想定されているが、国庁などに相当する遺構は、まだ確認されていない。

ただし、宮鍋神社周辺から総社神社にかけては、多数の古瓦や「国厨」と書かれた墨書土器、人形(ひとがた)などが出土している。

上野国府は天慶2年(939年)平将門が「新皇」と称して、東国独立宣言をした場所として有名である。治承4年(1180年)藤姓足利氏・足利俊綱によって焼き払われ、以後荒廃したと考えられる。