前橋市総社町総社の山王廃寺跡。
現在は小さな日枝神社が建っているが、ここは大正10年(1921年)に塔心礎が発見され、古い時期の寺院跡であることが分かり、地名から山王廃寺と呼ばれている。
発掘調査や出土品から、飛鳥時代・白鳳期の豪壮な寺院跡で、回廊の中に西に金堂、東に塔が並ぶ伽藍配置であることが判明している。
ちなみに、白鳳は正式な年号ではなく、白雉(650~54年)の別称・美称とされる。661~83年、672~85年を表す場合もあるらしい。
日枝神社境内に残る五重塔の塔心礎。輝石安山岩製で、柱のホゾ穴(径65cm、深さ18cm)や舎利孔(径27cm、深さ30cm)、環状の溝や十字溝が加工されている。十字溝は東西南北を示している。
金堂の屋根に据えられていた石製鴟尾。角閃安山岩製で、高さ1m、重量約1トン。
鴟尾は火にあうと口から水を噴き出すと信じられている、防火のまじないである。唐招提寺の金堂のものが有名。なお、鯱(しゃちほこ)は中世以降鴟尾から変化したもの。
根巻石は柱の根元を装飾するもので、7つの蓮弁からなっている。五重の塔の心柱を飾っていたものと推定されている。輝石安山岩製で径は96.5cm。つまり五重塔の心柱は、径が1m近かったということ!
塔の基礎をかざった根巻石と塔心礎の関係を示した復元図。
山王廃寺の塔跡の西側から出土した「放光寺」と刻まれた瓦により、山ノ上碑に記された「放光寺」は、山王廃寺であると考えられている。
山ノ上碑は「高崎市山名町・山ノ上碑」参照。
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