前橋市富士見町山口の山口神社。

山口神社 (1)
山口神社 (2)
山口神社の由緒は不詳。明治40年(1907年)に阿夫利神社、吾嬬神社、諏訪神社、大山祇神社を合祀している。

一ノ鳥居は文政11年(1828年)の建立。扁額は「諏訪宮」。鳥居前の灯籠(写真では影になっており分かりづらいが)は大正6年(1917年)の奉納。

山口神社 (3)
山口神社 (4)
二ノ鳥居は明和2年(1765年)の建立。扁額は「十二神」。

山口神社 (5)
石段を上りきったところ(二ノ鳥居前)の灯籠には「十二神」と刻まれ、享和元年(1801年)の銘がある。

山口神社 (6)
山口神社 (7)
左側から境内へ続く参道(?)に、もう一基鳥居がある。明和2年(1765年)の建立。扁額は「十二神」。

先の二ノ鳥居と同一年の建立なので、元の一ノ鳥居と推定される。明治期に諏訪神社を合祀した際に、その鳥居と入れ替えたと考えられる。ここからは推測だが、山口神社は元は十二神社で諏訪神社などを合祀した明治40年に山口神社と改称したのではないかな。

山口神社 (8)
山口神社 (9)
社殿の詳細は不明。屋根瓦など見ると、適宜改修されているように思われる。鈴一式は平成18年(2006年)に寄贈されたとあった。

山口神社 (10)
山口神社 (11)
境内社・末社群。若宮八幡宮、琴平社、菅原神社など。

山口神社 (12)
石祠と並んで石製扁額がある。下の方が苔むしていて読めなかったが「四阿屋」ではないかと思われる。「四阿屋」は一般的に「あずまや」と読み、「東屋」と同意。日本武尊が熊襲討伐の際、仮宮を建てた場所を四阿屋と呼んだことから日本武尊と関連する言葉でもある。

以下、また勝手な推測。山口神社には吾嬬神社が合祀されており、その旧鳥居扁額ではないかと。ただ山口神社のご祭神に日本武尊はいなく、橘姫命ではあるが。