高崎市足門町の八坂神社。

足門八坂神社 (1)
足門八坂神社の由緒は不詳。口碑では千葉常将が長元4年(1031年)に船尾山楊沢寺(息災寺)に向かう途上、当地で戦勝祈願をしたことに由来するといわれる。

ただ一般的には八坂神社の上野国への勧請(尾張八坂御師の布教)は15世紀以降とされる。そのため足門八坂神社の勧請も15世紀以降と考えられているようだ。そのため当初は八坂神社ではなかった可能性もあるということ。

足門八坂神社 (2)
足門八坂神社 (3)
鳥居は境内地(と思われる)に入ってから少し奥にある。

足門八坂神社 (4)
足門八坂神社 (5)
桜の根元に「福田赳夫先生 内閣総理大臣就任記念」という碑があるので、就任時に植樹されたのかな? そうだとすると昭和51年(1976年)からで樹齢は50年近くになる。

足門八坂神社 (6)
足門八坂神社 (7)
足門八坂神社 (8)
社殿は武田信玄の箕輪城後略の際に焼失したと伝わる。箕輪城の落城は永禄9年(1566年)とされる。現在の拝殿は明治4年(1871年)の建立。本殿奥には八坂神社の本地仏・午頭天王の懸仏があり、背面に宝永元年(1704年)の朱書きがある。

足門八坂神社 (9)
足門八坂神社 (10)
足門八坂神社 (11)
本殿には見事な彫刻が施されている。そのうちの「天女の舞」(彫刻写真3枚目)は昭和54年(1979年)の復元。落下し破損したのだが、原因は当時行われていた上越新幹線のトンネル工事で使用したダイナマイト爆破の振動とされる。

足門八坂神社 (12)
足門八坂神社 (13)
秋葉大権現、御嶽大権現の石塔。昭和41年(1966年)に現在地に遷されている。

由緒(口碑)に書いた千葉常将は船尾山楊沢寺(息災寺)を焼き討ちしている(「相満の変」)。詳細は下記参照。
 「吉岡町漆原・矢落観音
 「榛東村山子田・船尾山柳沢寺
 「榛東村山子田・常将神社