高崎市足門町の薬師堂。
天王山徳昌寺の境外仏堂である。
(徳昌寺は「福田赳夫元首相の墓・天王山徳昌寺」参照)

慶応3年(1867年)に金古町111号墳と呼ばれる径約16mの円墳上に飯島雪斎の碑を建立するため地ならしをしたところ、地中から足門村の開祖とされる長野氏家臣・岸忠清の名が刻まれた壺が出土した。
壺の中には土偶や刀剣などとともに金無垢の薬師如来像があったので、この地に薬師堂を建立して祀ったと伝えられている。後に古墳は「薬師さま古墳」とも呼ばれるようになった。

現在のお堂は平成11年(1999年)の建立。

飯島雪斎の碑。飯島雪斎は享和2年(1802年)足門村生まれ。江戸や大阪、長崎で西洋医学を学び、帰郷後に医院を開設し地元医療に貢献。また私塾を開き青少年の育成にも尽力している。元治元年(1864年)に死去。

薬師堂脇の「足門村発祥之地」と書かれた本型のモニュメント。書かれている内容を要約すると、第12代景行天皇がこの地に薬師堂を創建したので、その名の「足の御門(たらしのみかど)」から足門(村)となったという。
景行天皇の和風諡号は「大足彦忍代別(おおたらしひこおしろわけ)」なので「足の御門」なのかな。ちなみに景行天皇は日本武尊の父である。

庚申塔(青面王塔)の隣には、なぜか小便小僧の像がある。
足門村発祥の伝承に景行天皇が出てくるが、少し南の井出町の井堤神社は景行天皇の創建と伝わっている。なぜ旧群馬町に景行天皇の伝承が残っているのかは分からない。
(「高崎市井出町・井堤神社」参照)
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